■現代日本人もフス派の影響を受けている?

ホリー フス派が聖歌を歌うという話も、学校で先生に教わりましたね。当時はなにがすごいのか分かりませんでしたが……(笑)

注:『乙女戦争』作中で、フス派の指導者プロコプ・ホリーは少年少女による聖歌隊を組織し、戦場で歌って士気を鼓舞する。これは史実に基づいており、1431年の対フス派十字軍などは、フス派兵士たちの歌う賛美歌を聴いて戦意を喪失し、潰走したと言い伝えられている。『乙女戦争』10巻に収録。

聖歌隊の歌声に鼓舞されるフス派の兵士たち。

大西 あれはヤン・フスの教えの影響なんでしょうね。中世では、聖書の教えは、あくまで聖職者から与えられるものだった。それをフスは、自分で聖書を読んで自分で何が正しいか考えましょう、と説いた。

ホリー 批判的思考ですね。

大西 だからフス派の人たちは一般庶民もなるべく教育を受けようとした。聖歌を歌うのも、その一環だったんじゃないでしょうか。

ホリー 当時は教会が教育の役目を果たしていたんですね。チェコで教育制度が始まるのはコメニウスの時代なので、17世紀くらいですか。ムハの「スラブ叙事詩」にはコメニウスも出てますね。望郷の念という感じがしてわたしはいちばん好きです。

注:ヨハネス・アモス・コメニウス(1592-1670)はチェコの教育学者。欧州が荒廃した三十年戦争の時代に、人間性獲得のため普通教育の必要性を訴えた。

大西 コメニウスもフス派の人だったんですよね。そして教育学の父と呼ばれている。彼が主張した普通教育が世界に広がっていって、われわれ日本人もその恩恵を受けているわけですから、これも元をさかのぼればフス派の影響かもしれない(笑)。

ホリー フスはマルチン・ルターの前に、カトリック教会に異議を唱えた人ですね。フス戦争以後あれだけ強いプロテスタント運動があったあとで、チェコは、17世紀に「白山の戦い」で強制的にカトリックに改宗させられるわけです。でも、その後も日本の隠れキリシタンのように、隠れプロテスタントみたいなものがいたわけですよ。チェコは20世紀に社会主義時代を経験したので無神論者が多いと言われているんですが、理由はそれだけではないと思うんですね。

注:白山の戦いは、1620年にカトリックのハプスブルク家と、ボヘミアのプロテスタント貴族の間で起きたプラハ近郊での戦闘。ボヘミア側は敗れ、プロテスタントの住民は立ち退きかカトリックへの改宗を迫られた。

大西 なるほど。

自ら火刑になることを選ぶヤン・フス。44話より。

■中世の庶民は何を着ていた?

ホリー 大西さんが『乙女戦争』で描いたような庶民や下層社会の姿は、わたしの専門の歌舞伎で言うと、四世鶴屋南北……『東海道四谷怪談』を描いた人ですが……に通じるものがあると思っています。

大西 中世ヨーロッパの一般庶民の暮らしについては分からないことが多くて、服装のデザインなんかも、わりと想像で作ってしまっているんですが……(笑)。もちろん、チェコの民族衣装は参考にしていますが、15世紀当時、そういったものがあったかどうかは分からないんです(笑)。

『乙女戦争』作中の衣装は現代のチェコ民族衣装を参考にしている。

ホリー 当時はリネンが主だったかもしれませんね。いまあるような民族衣装はもっとあとの時代に生まれたものかも。

大西 チェコや東欧の民族衣装はとても素敵なので、以前から描いてみたいとは思っていたんですが、当時の写本なんかを見ると、服装はフランスやドイツとも同じような感じですね。

ホリー そうでしょうね。そういえば、コロナウィルスのロックダウンで、YouTubeにチェコの古い映画が無料公開されているんですが、1950年代の『フス戦争三部作』という映画が観られるんですよ。共産党政府のプロパガンダたっぷりの(笑)。

注:『フス戦争三部作』はオタカル・ヴァーヴラ監督のチェコスロバキア映画。『ヤン・フス』(1954)『ヤン・ジシュカ』(1955)『皆に逆らって』(1956)。

大西 あ、その映画のシーンは断片的に見たことがあります。

ホリー チェコの人は、時代考証には厳しいんですよ(笑)。でも、その三部作もそうなんですが、映画の中の衣装なんかはやっぱり製作当時の映画人の空想だったりするんです。本当はもっとみすぼらしかったかもしれないということですね。でも、大西さんが『乙女戦争』の中で庶民の衣装を美しく描いてくれたおかげで「チェコの人って昔からおしゃれだったんだな」と思われるなら、よかったかもしれません(笑)。

(了)

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