中欧の文化国家チェコで日本のマンガが愛される理由とは?
『乙女戦争 外伝I 赤い瞳のヴィクトルカ』発売記念
大西巷一・ペトル・ホリー対談
後編:チェコの伝説と文化の奥深さ
「ミュシャの「スラブ叙事詩」は、一種マンガ的な表現」
15世紀チェコ(ボヘミア)を舞台にした歴史マンガ『乙女戦争』作者の大西巷一さんと、日本在住の文学研究者ペトル・ホリーさんとの対談、前編につづいて、後編でも興味深い話題が続きます。チェコの伝説から、音楽、美術、そしてチェコ人の精神史にまでわたる広範なものとなりました。お楽しみください。
■シャールカとチェコの伝説
――『乙女戦争』は、先ほどの潜水服の話もそうですが、史実を盛り込みながら自由に展開しているところがありますね。たとえば作品タイトルも、チェコの言い伝えから取っているんですよね?
大西 そうです。チェコ人の王朝ができたばかりにあったと言われている、まあ伝説なんですが、男と女の戦争のことなんですね。それをチェコ語で「ディーフチー・ヴァールカ」……日本語にすると「乙女戦争」というんです。
――コミックスでは「ディーヴチー・ヴァールカ」というサブタイトルになっていますね。
大西 シャールカというのも、その伝説の有名なキャラクターです
ホリー はい、古代伝説に登場する、強い女性のキャラクターです。そんな昔に、男女平等みたいなお話があったんですね。伝説に登場する女性たちはみんな強い。ニヒルで冷酷で……男を惑わせて、刃物でえぐる……そんなイメージです。
大西 それこそ現代のフェミニズムの先駆けのようなところがあるので、いま注目されてもいいような内容ですよね。
ホリー 怖いお話です(笑)。
大西 怖いですよね。男と女で血みどろの戦争をするというストーリーですから。
ホリー 1952年にイジー・トルンカという人が映像にしていますよ。『チェコの古代伝説』という人形アニメ映画です。暗い作品ですけど。
注:イジー・トルンカ(1912~1969)は、チェコを代表するアニメーション作家。
――トルンカの作品はどれもトーンが暗いですけど。
ホリー チェコの映画はどれもそう(笑)。そのトルンカの映画にもシャールカと男のキャラクター、ツチラトが出てきますね。最初はふたりは愛し合っているけど、とんでもないことになる(笑)。
――調べると、伝説ではツチラトはシャールカの奸計にはまって従者ともども殺されてしまうんですね。
大西 日本語で乙女戦争について書かれたものを読むと、女性側に同情的な視点で書かれていたんですよ。男たちの横暴に敗れてかわいそうに……って。でもプラハに行って乙女戦争について書かれたものを読んだら、そっちは女性側に批判的だったんですね。思い上がってひどいことをやらかした女たちだ……って(笑)。だからいろんな解釈で語られているんだろうなと思いました。
ホリー そういえば小学生のとき、同じ学校にシャールカという子がいたんですよ。ときどき「怖いシャールカ」ってからかわれてましたね(笑)
大西 ほー!
――そういうイメージなんですね、名前が。
ホリー チェコでは、カレンダーに「名前の日」というのがあるんですよ。誕生日とは別に。わたしなら6月29日が「ペトルの日」なんです。その日には、その名前の人がお祝いをするんです。シャールカも6月末だと思うんですけど、「あのシャールカの日だ」みたいについ意識しちゃうんです。
大西 なるほど。
ホリー 「ディーフチー・ヴァールカ」の「ディーフチー」というのは、か弱い乙女のことなんですけど、伝説では冷酷で強い女性ということになっているのが面白いんですね。それにしても、それとフス戦争を結びつけたのはすごいです。
大西 資料を調べると、フス戦争には市民や農民や、女性なんかも兵士として戦っていたという記述があって、マンガで描くのなら、女の子を主人公にすることで、新しい戦争マンガができるんじゃないのか……という発想だったんですね。そのうちディーフチー・ヴァールカの伝説を知ったので、そちらの要素も取り入れたんです。
ホリー それにしても、日本語でフス戦争の文献って少ないでしょう。それこそ、明治大学の薩摩秀登さんの著書くらいですか。英語でも、チェコ語でも少ないと思うんですけど。
注:薩摩秀登は日本の歴史学者。専門はチェコ、スロヴァキア史。一般向けの著書に「物語チェコの歴史」(中公新書)などがある。
大西 資料については日本語の文献のほかに英語の本やウェブサイトなんかは参考にしています。