■プラハのジシュカ像
ホリー 学校の修学旅行のような行事でプラハやターボル、クトナー・ホラなんかに行くと、必ずフス戦争がらみの場所に行くんですけど、ガイドさんが解説してくれても、肝心の生徒たちは歴史の授業で教わったことは残念ながら忘れてしまっているんです(笑)。
――日本では戦国武将の織田信長とかは英雄で人気も高いですが、ヤン・ジシュカはチェコでそんなような扱いなんですか。
ホリー まさに英雄ですね。視力を失っても戦った武将だと。ジシュカが生まれた場所の菩提樹なんかは、いまも祀られていると思います。それは当時のものなのか、何代目かのものか分かりませんけど。プラハのヴィトコフの丘に行くと、巨大なジシュカの騎馬像が立っているんですが…。
注:ヴィトコフの丘は、1420年7月にフス派と十字軍との大規模な戦闘が起きた古戦場。総勢10万の十字軍を、300台のワゴンと60門の大砲を擁した12,000人ほどのフス派軍が撃破した戦い。『乙女戦争』第2巻に収録。
大西 あ、ぼくも見に行きました。
ホリー あれを見て、小学生男子はわたしなんかも含めてみんな「馬のタマ、でっかいなあ」って(笑)
大西 ジシュカは有名として、一方、ヤン・イスクラなんかはチェコでの知名度はどうですか? さきほど少し話しましたけど、外伝第2弾の『火を継ぐ者たち』ではイスクラが主人公の一人になるのですが。
ホリー 名前は知られていると思いますが、何をした人かとなると、分からない人がほとんどではないでしょうか。ちなみにイスクラというのは「火花」という意味ですね。
大西 いちおう、スロヴァキアでは地元の英雄として注目しようという動きがあったりするようなんですが、やっぱりチェコでの知名度はまだまだなんですね。『火を継ぐ者たち』では、彼を描くつもりなんです。ヤン・イスクラがフス派の残党を率いて、いまのスロヴァキアのあたりに自分の拠点を築いてしまうんです。そして20年ほど半独立国のようにして居座っていた。資料があまりないんですが、とても面白いんですね。スロヴァキアには歴史上、英雄と呼べるような人がほかにいないので……。
ホリー イスクラと同じ武将といえば、わたしの姓と同じプロコプ・ホリーがいますね。わたしは彼の末裔というわけではないんですけど、彼のほうが有名でしょうね。本当に、大西さんのマンガを読んでわたしはチェコの歴史を再勉強しているような感じです。
注:プロコプ・ホリーは、フス派の武将。フス戦争最後の大会戦であるリパニの戦いで没した。『乙女戦争』ではジシュカと並ぶフス派の指導者として登場。
大西 たしかに、日本ではほとんど知られていないモチーフなのですが、それだけにやりがいはあります。
ホリー 日本の人がチェコに関心を持つというと、音楽、ボヘミアガラス、映画だったらヤン・シュヴァンクマイエルとかで、なかなかフス戦争までは関心は行かないですよ。
注:ヤン・シュヴァンクマイエル(1934~)はチェコの映画監督。代表作に『アリス』(1988)など。シュルリアリスティックな表現で知られる。
大西 でも、美術や音楽作品を鑑賞していくと、ちょくちょく歴史がテーマになったものに出会いますよね。ドヴォルザークの序曲『フス教徒』とか、スメタナの『わが祖国』3曲目の「シャールカ」とか、5曲目の「ターボル」とか。戯曲でもフス戦争をテーマにしたものがちょくちょくありますし。
注:アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)とベドルジハ・スメタナ(1824-1884)は、ともに19世紀チェコを代表する作曲家。ドヴォルザークは、交響曲9番『新世界より』が有名だが、スラブ民族やチェコの歴史に材を取った作品が多い。スメタナは「モルダウ」(ヴルタヴァ)を含む交響詩『わが祖国』が有名だが『売られた花嫁』などオペラも多く手がけた。
ホリー あ、それは19世紀後半の愛国主義というか民族主義ですね。英雄を求めた時代だったわけです。英雄を作品に出せばベストセラーになる、というか(笑)。そもそも、チェコの民族神話がまとめられたのがその時期なんです。そういえば、スメタナはチェコ語があまり得意ではなかったそうです。彼の生まれ育ったリトミシェルはドイツ語地域で、彼の家庭ではチェコ語はあまり話されていなかった。彼はそれでコンプレックスを感じていたという逸話があります。オペラのリブレティスト(台本作者)から、「チェコ語のアクセントではこうはならない」と指摘されていたそうです。