『髑髏城の七人』の「100人斬り」が生まれた瞬間

――おもしろいです。人の魅力を引き出しつつ、お話を作っていく。

中島:自分が書きたいテーマは毎回あって。そこに役者を当て書きすることで、役者の魅力をかけ合わせていきます。ストーリーと役者の二重らせんになっているんです。

 たとえば、堺雅人くんが『蛮幽鬼』に出演してくれることが決まったときに、昔誰かが「堺さんは笑顔で喜怒哀楽を表現する」って言ってたのを思いだして、「そうだ、ずっと笑顔で人を殺していく殺し屋にしよう」と思った。

 そのとき物語のモチーフは『モンテ・クリスト伯』にすることは決めていたので、どこに配置するか。『モンテ・クリスト伯』では主人公を善の道に導く神父がいるんだけど、それが“レクター教授”だったらどうなる。主人公の復讐心を助長して殺しの技を教えていくメンターを彼にしよう!

 そうやって「やりたいこと」と「役者さんの魅力」を同時に成立させる手を二重らせんで考えていく。お客さんの感情が乗せられるようにストーリーを盛り上げていくんです。

――やりたいことの面白さと役者の魅力で、物語にしていくわけですね。

中島:そういえば、ある映画で主人公が一気に沢山の人間をワンシーンワンカットで斬っていくシーンを観たんですが、その殺陣にドラマがないから、ただ段取りで斬っているような感じがあって、もったいないなと感じたんです。

 芝居は常にワンシーンワンカットみたいなものだから、多人数斬りに感情がのっかればもっと面白い。その映画には刀鍛冶も出てたんですけど、これもそこまで面白く使われてなかった。

 日本刀って5人くらい斬ると、斬れなくなってしまうんですよ。だったら、戦いながら刀を砥げばいい(笑)。それで、刀が好きで好きでしようがない刀鍛冶を出しました。

 刀鍛冶と一緒に戦いながら、日本刀が斬れなくなったら、すぐに砥いで打ち直す。刀を投げて打ち直して投げ返す。そもそもの発想はリアルだけど解決方法がアクロバティックで派手。そう考えて出来たのが『髑髏城の七人』の100人斬りです。相当おかしくて、相当カッコいいシーンになったなと思いましたね。

中島かずき 撮影/イシワタフミアキ

――劇団☆新感線の芝居はギャグが全編にちりばめられていて、観ている人を笑の渦に巻き込むような力があふれています。ですが、中島さんの脚本の段階ではギャグが全部書いてあるわけじゃないですね。

中島:そうですね。構造的なギャグは書いているんですけど、ネタは書いていません。ネタの部分はいのうえの習性みたいなものなので、しようがないんですよ。どう考えても本人しかおもしろくないときもありますが、それはあきらめですね(笑)。新感線に関わっている人は全員しようがないと思っているんじゃないでしょうか。

――ネタはいのうえさんの習性なんですね。

中島:僕も20代くらい……いやもうちょっと30歳くらいまではネタを書いていたんです。自分のギャグが世界で一番面白いみたいに思い込んでいるときもありました。まぁ、20代が一番思い上がりますからね(笑)。

 でも、「ギャグ漫画家25歳限界説」っていうのがあって。山上たつひこさんや、鴨川つばめさんといった一世を風靡したギャグ漫画家たちが、年齢とともに第一線から引いていくという現象がありました。

 私もそれを実感したことがあったんです。それであるときからネタを書くのは控えようと思ったんですよね。頭のネジがハズレていて、言動がおかしい人が新感線の芝居にはよく出てきます。でも、まわりの人から見るとおかしいけれど、その人自身は真面目に言っている。そういう構造的なギャグは書いています。そういう度が外れたところは年を取っても書けるかなと。

――それは作家の発想というよりも、かつて編集者だった頃に培った感覚といってもいいんでしょうか。(※中島氏は長らく出版社に勤務しながら劇作家活動を続けていた。)

中島:どうなんでしょう? それは自分ではわからないですね。ただ、役者を見て、ネタ的な面白さを広げていくことはあります。橋本じゅんくんとか、池田成志くんとかは、面白くしようと思ってどんどん広げていますね。

――劇団メンバーの方々とは長い時間ご一緒されていますし、それぞれの役者さんのさまざまな魅力をご存じでしょうから、いろいろな面白さが生まれそうです。

中島:学生の時から、みんなのことを知っていますからね。でも、ともすれば、自分の枠の中にハメてしまいがちなので、そこは自分でも注意していますね。ただ、ここまでやっていると斬新なものは出てこないので、ちょっとした会話や設定で新しいものが見えたら良いなと思いながら書いていますね。

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