■プラハという街

ホリー わたし自身は郊外の小さな街の出身なんですが、プラハはとてもなじみのある街で、古くからの街並みが残っています。ただ、ふだんはそんなに意識していないんです。『乙女戦争』のおかげで、たとえばフス戦争のきっかけと言われる「窓外放出事件」の舞台になった建物(新市街市庁舎)の前を通ったときに「あ、ここだったんだ」と思うようになったんです(笑)。

注:プラハ窓外放出事件は、1419年、フス派の聖職者ヤン・ジェリフスキーに率いられた民衆が、プラハ新市街市庁舎の窓から市長や市参事会員らを放り投げて殺害した事件。その後ジェリフスキーらは新市街を占拠し、国王ヴァーツラフ4世はショックで死去、プラハは混乱へ落ち込んでいく。なお、プラハの街は先代のカレル1世の時代に発展し、いまある街の原型がととのった。14世紀末にはローマやコンスタティノープルと並ぶ欧州最大の都市だったと言われている。

市庁舎の窓から投げ捨てられるプラハ新市街市長。『赤い瞳のヴィクトルカ』2話より。

大西 ぼくもプラハは2015年に一度だけ訪問しました。その年はちょうどヤン・フスの没後600年だったんですよ。プラハでも、一緒に訪れたターボルでもヤン・フスにまつわるイベントや展示会がやってましたね。やっぱりヤン・フスはチェコの人にとって大きな存在なんだろうなと感じました。

ホリー ローマ教会に異端として火あぶりにされてしまった人ですが、わたしが通ったカレル大学の学長で、プラハの旧市街広場にはフスの銅像がありますし、やはり一種の英雄だと思います。

『乙女戦争』に登場するヤン・フス。

大西 ターボルは、街の真ん中の広場にドーンとヤン・ジシュカの像が立ってまして、広場に面した旧市庁舎が博物館になっていました。中ではフス戦争でのターボル軍の活躍が展示してあって見ごたえがありました。

注:ターボルは、プラハ南方約100キロに位置する街。フス戦争初期の1420年に、フス派急進派のターボル軍が築いた城塞都市。ヤン・ジシュカはここを拠点とした。街の中心となる広場は現在ジシュカ広場と呼ばれる。『乙女戦争』の主要な舞台のひとつ。

ターボルのジシュカ像(撮影:大西巷一)

ホリー 武器なんかも展示されていましたか?

大西 はい、大砲とか唐竿とかいっぱい。

ターボルのフス派博物館(撮影:大西巷一)
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