■国を売っても眉一つ動かさない鋼の面の皮の持ち主トリューニヒト
最後に、軍人とはまた異なるベクトルで「怪物」と呼びたくなる人物としてヨブ・トリューニヒトを紹介したい。
自由惑星同盟の政治家として登場し、最終的に同盟を破滅に導いた張本人といえる人物だ。
トリューニヒトの強さは、倫理観の欠如と自己保身の徹底にある。民衆の前では民主主義の擁護者を装いながら、その裏では自らの権力を保つために軍部と癒着し、嘘や詭弁を積み重ねていく。その様は、「もはや悪役を演じてるんじゃなくて、本物だな」と思わせるほどだ。
トリューニヒトは物語の開始時点では、自由惑星同盟の国防委員長の座についていた。
普段は民主主義のため、銀河帝国との戦争を正義の戦争であるかのごとく賛美している彼だが、帝国領土への侵攻作戦をとる際には他の多くの政治家たちが賛成する中、なぜか反対の立場をとるのだ。
結果、多数決で帝国軍侵攻作戦は決定するのだが、結果的に帝国軍侵攻作戦は失敗に終わる。
そして軍部の最高責任者である統合作戦本部長であったシドニー・シトレ元帥や侵攻の総指揮を取った宇宙艦隊司令長官のラザール・ロボス元帥は敗戦の責任を取って辞職することとなった。
だが、トリューニヒトは責任をとるべき国防委員長の立場にあるにもかかわらず、多数決で反対したという理由で留任となり、そのまま自由惑星同盟の最高議長(大統領のようなもの)になってしまうのである。
他にも軍部でクーデターが起こった際など、本来なら政治生命がおびやかされてもおかしくないような事件があったにもかかわらず、結果的に彼の権力をどんどん拡大させる形になってしまう。大したことはしていないのに、気づけばどんどん権力を得ていくトリューニヒトの姿に恐怖さえ覚えたものだ。
そして衝撃的だったのは、同盟軍と帝国軍が激闘を繰り広げ、もしかしたらラインハルトを倒せるかもしれないところまで追いつめていたとき、首都星ハイネセンが帝国軍に奇襲された場面である。
帝国軍の降伏勧告に対し、他の政治家たちや宇宙艦隊司令長官のビュコックなどは、自分たちが犠牲になってでも、戦場での勝利に期待した。
だが、降伏勧告の際「最高責任者の責任は問わない」と帝国軍に言われたことから、トリューニヒトは自己の保身のため降伏を受け入れるのである。
そして、最終的に国を売り渡したにもかかわらず、ラインハルトに対し、「何か地位をいただければ陛下のために働く」とまで口にする厚顔無恥さも見せ、視聴者としても「こいつやべえな」と思うほどで、見ていて腹立たしかった人も多いのではないだろうか。
しかし、彼の弁舌と処世術は超一流であり、だからこそ誰も彼を完全に潰しきれなかった。ある意味では、ラインハルトやヤン・ウェンリーのような英雄たちとは真逆の形で超人だったといえるだろう。
『銀河英雄伝説』は、英雄と英雄がぶつかり合う構図だけではない。そこには、常軌を逸した力を持つ怪物たちの存在もあったことで、物語は深みを増していた。
オフレッサーの肉体、アイゼナッハの沈黙、トリューニヒトの厚顔無恥。それぞれが全く異なる規格外でありながら、確かに『銀英伝』という壮大なスペース・オペラを語る上で欠かせないピースだったのだ。