まるで「シュワルツェネッガーとスタローン」ファミコン移植も大成功! 35年前にゲーセンで生まれた『魂斗羅』が子どもたちを刺激したワケの画像
画像はファミコン版『魂斗羅』(編集部撮影)
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 今からちょうど35年前となる1987年2月20日、コナミアーケードゲーム『魂斗羅(こんとら)』が全国のゲームセンターで稼働を開始した。

 翌1988年2月9日には、ファミコン用ソフトとして移植された同作。熱い魂と驚異的な身体能力を持った特殊部隊「魂斗羅」に所属する上等兵、ビルとランスを操作してエイリアンを倒しつつ謎の武装集団「レッドファルコン」を壊滅させるというこのシューティングアクションゲームは、その後『スーパー魂斗羅』『魂斗羅スピリッツ』などシリーズ化。『魂斗羅』という漢字3文字に血沸き肉躍らせる人は多いのではないだろうか。

■80年代を盛り上げたシュワちゃんとスタローン

 初代『魂斗羅』は80年代末にリリースされたタイトルというだけあり、この時代を象徴するハリウッド映画の影響が見られたゲームで、タイトル画面にはシュワちゃんとスタローンをモデルにしたようなビルとランスの姿が描かれていた。

 オーストリア生まれのアーノルド・アロイス・シュワルツェネッガーは、もともとはボディビルの選手だった。数々の大会で名をはせるスター選手だったシュワルツェネッガーは、70年代から俳優としての活動を開始。1984年に敵として出演した『ターミネーター』でアクション俳優としての地位を確立し、続いて1985年に主演を務めた映画『コマンドー』も大ヒットを記録した。

 それとまったく同時期に、ニューヨーク出身のシルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローンがやはりアクション映画で頭角を現した。スタローンはボディガードやポルノ映画への出演でなんとか食いつなぐ俳優志望者だったが、あるときボクシングを題材にしたシナリオを書き、それが映画会社の目に留まった。「ポール・ニューマン主演の映画にこの脚本を使いたい」と提示されたのだ。しかしスタローンはそれを断り、代わりにニューマンではなく自分を主役に使ってくれと嘆願した。

 こうして製作された低予算映画『ロッキー』が、世界映画史上にその名が刻まれる大名作になった。

 そしてスタローンは1982年、ベトナム帰還兵の孤独と悲劇を題材にした『ランボー』でアクション俳優としての地位を確立する。80年代の西側諸国では、シュワルツェネッガーとスタローンがアクション俳優の2大巨頭として君臨していた。

 そんな80年代にアーケードゲームとして生まれた『魂斗羅』も、そのブームと無縁ではなく、このゲームに登場するビルとランスは、明らかにシュワルツェネッガーとスタローンを匂わせる容姿だったのだ。当然「シュワちゃんとスタローンがモデル」とメーカーが露骨に公言したわけではなかったが、それでも当時の少年たちから見ればこの二人は「コマンドーとランボー」に他ならず。おまけにゲーム後半では『エイリアン』的な要素まで盛り込まれており、当時の人気洋画タイトルの雰囲気をたっぷり詰め込んだボリューム満点の大作となっていたのだった。

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