ファミコンの名作ボクシングゲーム『パンチアウト!!』(1987年)は、任天堂による景品用ソフトである。『ファミリーコンピュータ ゴルフトーナメント』の入賞者に贈られたものだが、同年10月に一般販売用のファミコンソフトとして、プロボクサーのマイク・タイソンとコラボした『マイクタイソン・パンチアウト!!』がリリースされた。
一般販売版の『パンチアウト!!』は、タイトル通りマイク・タイソンがラスボス。この時代、タイソンの試合はアメリカのみならず日本でもセンセーショナルを巻き起こしていた。無類のパンチ力、堅牢な防御のピーカブー・スタイル、そして他に並ぶ者のない運動量。全盛期のタイソンに勝てるボクサーは存在せず、同時にタイソンは「世界最強」の名をほしいままにした。『パンチアウト!!』は、そのまっただ中に発表されたゲームだったのだ。
■恐怖心は最大の友
『パンチアウト!!』は、もともとはアーケード用ゲームで、相手のパンチをガードして避けつつ、隙を狙って攻撃をするボクシングゲーム。3分3ラウンドで3回ダウンを奪うことで勝利し、パリ出身のグラス・ジョー、日本人選手のピストン本田、巨漢ボクサーのキング・ヒッポらを攻略。主人公のリトル・マックの前に最後に立ちはだかるのがマイク・タイソンだった。
少しタイソンの歴史を振り返りたい。1966年6月30日にニューヨーク・ブルックリンで生まれたマイク・タイソンは、大きな眼鏡をかけたいじめられっ子だった。年上の不良の使い走りとしてさんざんこき使われ、おりの中の鳩だけが親友という暗い少年である。
ある日、マイク少年を使役していた不良が、気まぐれで鳩を殺した。その様子を見せつけられたマイク少年は、人生初めての喧嘩で不良を完膚なきまでに叩きのめす。悪童マイク・タイソンの誕生である。
その後、タイソンは50回以上の逮捕歴を重ねた。収監された先の少年院でボクシングに出会い、厳正なルールの下で合法的に相手を殴ることを身につける。矯正教官のボビー・スチュアートは、名の知られたボクシングコーチであるカス・ダマトにタイソンの話を持ちかけた。
ダマトは「心理を操るコーチ」だった。彼はタイソンに完全記号化されたコンビネーションや、両拳を顔の前に置くピーカブー・スタイルを教えると同時に、「恐怖の使い方」を指南した。「恐怖心は最大の友」というのは、ダマトの言葉だ。
何かに恐怖しているときと興奮しているときは、実はまったく同じ精神状態である。その違いは、単につま先がどこに向いているかにすぎない。恐怖は火である。それを使えば暗闇を照らす明かりにもなるし、料理をするための熱源にもなる。が、使い方を誤れば自分の身を焦がしてしまうこともある――。
洗練されたテクニックとパンチ力、己の中の恐怖をエネルギーに転換する思考法、そして相手の恐怖をあおり、つま先を後ろへ向けさせる戦術。これらを身につけプロボクシングのリングに参入したタイソンの前に、敵らしい敵など存在しなかった。