今から25年前、1995年3月11日、今なお愛され続ける名作RPGがスーパーファミコン用ソフトとして誕生しました。
そのソフトは『ドラゴンクエスト』でおなじみの堀井雄二氏と鳥山明氏、そして『ファイナルファンタジー』でおなじみの坂口博信氏が手がける「ドリームプロジェクト」と銘打たれ、各メディアで大々的に取り上げられ、発売前から大きな注目を集めていました。
あまりの大風呂敷っぷりに戦々恐々としていた人も中にはいたかも知れませんが、多くの人はその発売日を指折り数えて待ち望み、歴史に残る超大作の誕生を大いに期待していたことでしょう。
期待と不安が入り混じる中、発売されたそのソフトは、RPG界の巨匠がお互いをリスペクトし、お互いの作品を見事に融合した紛れもない「神作」で、日本中のゲーマーたちを大いに歓喜させました。
その作品こそ、かの有名なRPG『クロノ・トリガー』です。
自己紹介が遅れました。私、お笑い芸人のヤマグチクエストと申します。今回は発売25周年を迎えたこの『クロノ・トリガー』がどれほど画期的な作品だったのか、について書いていきたいと思います。
■ドラクエとFFが融合するということ
私はRPGがとても好きで、『ドラゴンクエスト』シリーズを心底愛している者です。
ドラクエが好きだというと決まって「あ、じゃあドラクエ派なのね」と言われます。これはRPG界の2大巨頭「ドラクエ・FF」論争における派閥のことです。私はドラクエ“だけ”が好きなのではなく、あくまでRPGが好きなので、FFも同じように遊んではいるのですが、やはり派閥で分けられてしまいます。この2つがなぜ対立しているかというと、お互いに様々な意見があるとは思いますが、大きな違いとして、「主人公がしゃべるか否か」がポイントだと思います。
ここに「RPG論」のすべてを凝縮している人もいるくらいです。
ドラクエはご存知の通り、主人公は言葉を発することはなく(ほんの一部の例外あり)、会話というと「はい・いいえ」のみ。対するFFは、キャラクターごとに個性・セリフがしっかりと設定されており、変更はできるものの主人公にはデフォルトで名前までつけられています。
主人公が自分であるかのような体験ができるドラクエに対し、主人公は別人格であることを認識しながらもキャラクターに感情移入できるFF、という違いがあるのです。
文章だけで聞くと「大した差はないじゃん」と思うかも知れませんが、両者にはとても大きな隔たりがあります。
たとえば、ドラクエの主人公に「ヤスヒロ」(私の本名)と名付けても主人公にはセリフや感情がないため、違和感なく遊べますが、「ヤスヒロ」と名付けたクラウドにはクラウドのセリフがあるため、「俺の悲しみはどうしてくれる!」などと叫ばれてもそれが「ヤスヒロ」であるとは思えません。私は情けない人間なので同じ場面では「なんでよー」などと言ってしまうだろうからです。
しかし、「ヤスヒロ」の父親がゲマに殺されたときの悲しみは言葉にできないほどですが、父親が「シン」だったと言われたときの絶望感は「ティーダ」が肩代わりしてくれるのでどこか他人事のようにゲームを楽しめます。
つまり、ドラクエの主人公は紛れもなく「プレイヤー」なのですが、FFの主人公は「プレイヤー」ではなくやっぱり「ゲーム内のキャラクター」なのです。
ここに大きな違いがあります。
では、堀井雄二氏、坂口博信氏がタッグを組んで作った「クロノ・トリガー」の主人公はどうだったでしょうか。主人公が「プレイヤー」か「非プレイヤー」か、この2つの視点が交わることは難しい気がしますよね。
しかし、本作はこの融合をものの見事にやってのけました。
主人公の名前は「クロノ」です。デフォルトで名前がある、そして変更もできる、という点ではFF同様です。そしてクロノにセリフはありません。プレイヤーが選択肢を選ぶことはあっても、クロノが個人的にセリフを発することはありません。
それならばなぜ名前がつけられているのか。それは、「クロノ」が「感情を表現するから」です。
クロノ・トリガーではドット絵のキャラクターたちが場面ごとにリアクションをとることがあります。そのコミカルなタッチが作品を明るくさせているのですが、主人公の「クロノ」もその例に漏れません。
言葉を発することはないものの感情を表現する「クロノ」というキャラクター。これならばセリフがないため「俺ならこんな言い回しはしない」と思うようなこともなく、同じ「感情」を共有できるし、「ゲーム内のキャラクター」の表現としても成り立つのです。
つまり「クロノ」は、ドラクエ的主人公としても成り立つし、FF的主人公としても成り立っているのです。序盤の裁判のシーンでいえば、たとえばお弁当を食べてしまったり、マールよりペンダントを優先してしまったりして有罪になったとき、「なんて理不尽なんだ!」という怒りと、「こんなんで有罪になってワロタ」という他人ごとのようなおかしさ、この両方を味わえるのです。
どちらかの個性を打ち消すことなく、クロノ・トリガーという作品の独自性を確立させたこの「主人公像」は、本作の画期的な要素の一つとなっていますね。