2026年、「週刊SPA!」の最長連載にして、読者投稿コーナーの最高峰『バカはサイレンで泣く』の連載が終わった。当該ページの担当者のひとり、文筆家のせきしろが、雑誌・ラジオ投稿に情熱を傾けたハガキ職人たち、それぞれの人生を辿る。「ネタハガキの投稿」に魅入られてしまった、市井の人々の歩みを紡ぐ。
■「田村R」編
せきしろ「投稿と生きる -ハガキ職人たちの人生-」第3回
私の中の田村Rはいつも2人いる。明るい田村Rと暗い田村Rがいる。強い田村Rと弱い田村Rがいる。笑っている田村Rも泣いている田村Rもいる。どちらか一方が欠けるとそれは田村Rではないし、私はそんな田村Rが好きである。
田村Rとは頻繁に会ったり、なにか一緒にしたりということはほぼなかったものの、いつも気にはしていた。「自分の仕事を振りまくってくる」編集者や、「自分ではやりたくない雑用を押しつけてくる」ディレクターなどにこき使われているのではないかと心配していた。田村Rの才能をよくわからない奴に潰されたら嫌だなと思っていた。現に何人もそういう投稿者を見てきた。
田村Rに初めて会ったのはいつだったかまったく覚えていない。本人によると2007年9月に行われた『ハガキ職人ナイト』とのことだ。この連載でも何度か触れているイベントだ。
「ハガキ職人ナイトの時は挨拶するタイミングがありませんでした。自分もイベントに出ることで精一杯だったので、本当に会っただけという感じでした。初めて会話したのはその年のバカサイ忘年会です。バカサイのポイントレースで初優勝したというタイミングでした。その前のレースでせきしろ賞に選ばれたこともあり親近感を持っていました。
一方でいろいろと話をしていただけたのに気の利いた返事ができず申し訳なくも思いました。積極的に『業界に入りたいんです!』『何かお手伝いさせてください!』と言いだす勇気があれば、もっと早く物書きの道に進めたかもしれないと悔やんでいます。何者かになりたいという思いで地元を出てきたのに、中途半端な姿勢だったなと思います」
いきなり反省から始まる田村Rであるが、それもまた田村Rだ。そんな田村Rは1983年に長野県で生まれる。中央アルプスや南アルプスに囲まれ、外に出れば山が見えるのが当たり前の町で育った。その辺りではカツ丼を卵でとじずにソースで味付けしたソースカツ丼が名物であるという。ちなみに私の地元はタレカツ丼である。
田村Rには姉と妹がいる。妹が生まれたころに父親は事故で亡くなってしまう。田村Rもまだ幼く、父親の記憶はほとんどないという。
「子どもの頃はウルトラマンや仮面ライダーなどヒーローものに夢中でした。小学校に入ってからは『コミックボンボン』に出会い、その影響で『ガンダム』シリーズにのめり込みました。『騎士ガンダム』『武者頑駄無』といったSDガンダム、アニメだと『Gガンダム』『ガンダムW』などが好きで、プラモデルも買っていました」
田村Rはヒーローやロボットに憧れる、よくいる小学生だったようだ。
「小学生の頃は活発でよくしゃべる子でした。人を笑わせるのも好きで、親戚の集まりなどでは盛り上げ役を買って出ていた記憶があります。あまり外に出て遊ぶ子ではなく、友達の家や自分の家でテレビゲームをしてました。特に夢中だったのが『ドラゴンクエスト』で、当時出ていた全シリーズをやりました。その流れでエニックス(現スクウェア・エニックス)が発売していた『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』も読み始めました。やがて『月刊少年ギャグ王』という雑誌が創刊されて、これが運命の出会いでした」


