■怪物を救ってしまった男「天馬賢三」

 そして最後に、意外なモンスター候補として挙げたいのが、本作の主人公・天馬賢三だ。

 物語の冒頭、天才的な脳外科医である彼は、病院の方針に背き、政治的に重要な患者ではなく、先に運び込まれた瀕死の少年・ヨハンの命を優先して救う決断を下す。この医師として、人として正しすぎる行動が、すべての悲劇の始まりとなったのである。

 天馬の神業によって一命を取り留めたヨハンは、やがて冷酷な怪物として覚醒し、数多くの悲劇を生み出す存在となる。つまり天馬の善意は、皮肉にも怪物をこの世界に繋ぎとめ、結果として多くの犠牲者を出す原因となったのだ。

 ヨハンが天馬に異常なまでの執着を見せ、彼の手で殺されることを望んだのは、天馬こそが自分と対等の地平に立つ、唯一の理解者であると認めていたからに他ならない。天馬が貫く「すべての命は平等だ」という信念が、ある種の「常軌を逸した純粋さ」を孕んでいることを、ヨハンだけが見抜いていたのではないだろうか。

 その証拠に、ヨハンを止めるためにすべてを捨てて逃亡者となった天馬は、物語のクライマックスで再び頭を撃ち抜かれた瀕死のヨハンを前にした時、またしても彼はその命を救う道を選ぶ。

 その姿は、崇高な人道主義の象徴であると同時に、怪物さえ救ってしまうほどの極端な善意の持ち主とも映る。そのあまりに純粋すぎる善意もまた、この物語が描いたもう一つの「モンスター」だったのかもしれない。

 

 『MONSTER』という物語を振り返ると、「モンスター」と呼ばれる存在は決してヨハン一人ではないことに気づかされる。

 ヨハンの忠実な部下として暗躍したロベルトのように、自らの意志を捨てて殺人を実行する人間もいれば、511キンダーハイムに執着し、ディーターを虐待していたハルトマンのような人物もいる。日常の中にも、小さな怪物は潜んでいるのである。

 ボナパルタの歪んだ思想、母親の極限状況での選択、そして天馬のあまりに純粋な善意。それらの要素が複雑に絡み合い、ヨハンという存在を通して悲劇は連鎖していった。

 誰か一人だけが純粋な「悪」だったわけではない。それでも人間の弱さや絶望が積み重なったとき、誰もが「怪物」になり得る。

 『MONSTER』という作品は、そんな問いを、今なお読者に投げかけ続けているのである。

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