■編集者との「二足のわらじ」を25年間

――『JUNK BOY』は当時大ヒットして、『アクション』の看板作品のひとつでした。大ヒット作の漫画編集者なんて、めちゃめちゃお忙しいお仕事だと思います。

中島:『JUNK BOY』がヒットしたというのも、自分にとっては大きかったんです。国友さんとふたりでお話を作っていく中で、読者からすごく反響を得ることができた。やっぱり、自分の感覚って間違っていなかったんだなと、自信につながりましたね。

――その頃は中島さんは編集のお仕事をされていて、どの時間帯に脚本書いていたんですか?

中島:それは家に帰ってからです。編集の仕事をしていると家に帰るのが夜0時過ぎになるんですよね。そこから朝5~6時くらいまで脚本を書いて、そこから寝て。あとは土日の休みのときにずっと書いていました。まあ、ひどいときはバスの中で書いたりもしましたけど。

――それを……約30年続けていらしたわけですね。

中島:25歳から会社を辞めた50歳までだから25年ですか。今思うと、自分ではどうやって両立させていたんだろうな……という感じです。まあ、やっぱり会社には迷惑をかけていたと思いますよ(笑)。先輩から真面目な顔で「中島くんは編集だけに集中したら、良い編集者になれると思う」って言われたこともあったから。決して批判ではなく、忠告という感じでしたが。

中島かずき 撮影/イシワタフミアキ

――週刊誌の漫画編集と、脚本の執筆を両立されていたというのはすごいことだと思います。体力的にも、お仕事の分量的にも。

中島:でも睡眠時間を削っていたわけじゃなかったですからね。寝る時間は最低でも6時間くらい取っていましたし、無理をしていたつもりはないです。それに、新感線の脚本を書かなくちゃいけないといっても、1年に1本か2本で、ずっと忙しいわけじゃないですから。

 でも、当時の自分は、よく作家が原稿をあげてくれるって信じていたなって思います(笑)。原稿があがってこないと、自分の時間はありませんからね。作家のみなさんがちゃんと原稿を毎週あげてくれていたから、自分が脚本を書く時間があったんですよね。

――中島さんは演劇の脚本だけでなく、のちに映画やアニメ、ドラマの脚本も書かれていらっしゃいます。

中島:そうですね。そういう意味では家族にもかなり負担をかけていたんだろうなと思います。かみさんは僕が脚本を書いているときに、子どもの相手をしてくれていたし、土日も脚本を書かなくてはいけなくて、出かけられないことも多かった。申し訳なかったなと思います。

――脚本家として独立されたあとも、精力的に作品の幅を広げていらっしゃいます。

中島:辞めたら2倍書けるようになる……って思ったんですよね。ところが、意外と書けないので、おかしいなぁと(笑)。ただ、『仮面ライダーフォーゼ』(2011~2012年)は会社を辞めたから書くことができた作品だと思います。福士蒼汰くんに加え、吉沢亮くん、横浜流星くんにも出ていただいて……。

――みなさん活躍されていらっしゃいますね。とくに吉沢さんと横浜さんは映画『国宝』で今注目の俳優さんとなっています。

中島:そうですよ。テレビで映画『国宝』のCMが流れるたびに「フォーゼだ!」と僕が言うので、かみさんが嫌がってます(笑)。

――『仮面ライダーフォーゼ』のみならず、中島さんは『ウルトラマン』シリーズや『戦隊』シリーズでも脚本を書かれていて、さらにアニメでも活躍されている。かなり幅広く作品を手がけられています。

中島:でも『機動戦士ガンダム』シリーズはやってないんです。水島(精二)監督が『機動戦士ガンダム00』をやっているとき、主人公機のガンダムエクシアには、7本の実体剣の総称である「セブンソード」という武装があると聞いて、1本(1話分)でいいから脚本を書かせてくれないかって思っていたんですよ。

 刀鍛冶のモビルスーツを出して、敵を斬るたびにソードを磨くっていう。ビームサーベルだったらビームの粒子を整えて、ビーム粒子を活性化させちゃうモビルスーツを出すっていうネタがあったんで……。

――それ『髑髏城の七人』では……(前回参照)。

中島:ダメでした。残念ながら、書く機会はなかった……。

――アニメの分野ではアニメ制作スタジオ「TRIGGER」の今石洋之監督とのお仕事が印象的です。『天元突破グレンラガン』『キルラキル』、映画『プロメア』と数多くのアニメオリジナル作品を手がけていらっしゃいます。今石監督と中島さんの脚本の執筆をめぐるエピソードはたびたび語られていますね。

中島:そうそう、毎回、今石さんが僕の書いた脚本をボツにするんですよ(笑)。

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