『ガンダム』アムロを超える撃墜数?謎だらけの地球連邦軍エースパイロット「テネス・A・ユング」とは何者なのかの画像
「MG 1/100 RGM-79SC ジム・スナイパーカスタム (テネス・A・ユング機)」(BANDAI SPIRITS) (C)創通・サンライズ

 ガンダム作品において「エースパイロット」という肩書はよく見かけるが、その定義はどのようになっているだろうか。書籍『マスターアーカイブ 機動戦士ガンダム MSVエースパイロットの軌跡』(SBクリエイティブ)によれば、地球連邦軍ではモビルスーツ5機の撃墜でエースの肩書が与えられたという。

 テレビアニメ『機動戦士ガンダム』の舞台となった一年戦争での地球連邦軍の撃墜数ランキングは、1位の「テネス・A・ユング」が149機、主人公「アムロ・レイ」が142機、3位の「リド・ウォルフ」が大分差があいて68機となっている。

 アニメ劇中で「連邦の白い悪魔」と恐れられたアムロ&ガンダム以上の撃墜数を誇るテネスという人物は、いったい何者なのだろうか。彼の名の初出は書籍『機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑』(バンダイ)であり、前述の撃墜数とともにテネスの名が掲載されていた。

 同書の著者のひとりである山口宏氏は、自身のXにて「非公認設定本ということで、逆に自由に書けたんです」と明かしている。

 その後、このテネスの設定がゲームやガンプラにも採用され、公式のキャラとなっていったのだろう。そこでテネスという知られざるエースパイロットにスポットを当て、あらためて深堀りしていきたい。

■トップエースが積み上げたキャリア

 テネスの来歴は、先程も触れた『マスターアーカイブ 機動戦士ガンダム MSVエースパイロットの軌跡』のなかで明かされている。

 テネスの生まれはキューバ島で、決して裕福ではない家庭に育ったという。その後、航空機のパイロットを目指して宇宙世紀0073年に地球連邦軍に入隊、0076年には念願のパイロットとなる。そして0079年に一年戦争が始まると、テネスは航空機から宇宙戦闘機パイロットになり、初めての実戦を迎える。この時の乗機は、連邦軍の戦闘機「FFー4 トリアーエズ」だ。

 戦闘機のパイロットとして結果を残したテネスは、モビルスーツのパイロットに抜擢され、地球連邦軍初の量産型モビルスーツ「ジム」を受領。通常武装の「ビーム・スプレーガン」ではなく「ハイパー・バズーカ」を装備したジムで、ジオン機を多数撃破していった。テネスはとくに射撃センスに優れており、威力の高いバズーカのほうが戦果に直結したとも言われている。

 その後、地球では連邦軍の大反抗作戦「オデッサ作戦」が終了し、敗走して宇宙に上がってきたジオン軍を叩く任務に従事する。前線の将兵から「モグラ叩き」とも呼ばれたこの任務は、攻撃対象の多くが非武装のロケット、もしくは地上装備の機体だったため、一方的な戦いとなった。

 そこでの戦果が認められ、テネスはエースの証であるカスタム機「ジム・スナイパーカスタム」を受領し、狙撃部隊へと転属となった。そこでさらに撃墜スコアを伸ばしたが、ソロモンの戦いでジオン軍のエースと交戦して機体を中破させられている。

 テネスは、宇宙要塞ア・バオア・クーを巡る攻防には「ジム・コマンド」で参加。ジオン軍の超巨大空母ドロス級を仲間とともに撃沈させるなど、大きく勝利に貢献した。戦後も戦い続け、ジオン軍の残党狩りにも参加したと言われている。

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