■『ポケットモンスター』生みの親・田尻智さん…開発機材から自作した『クインティ』
田尻智さんは、『ポケットモンスター』の生みの親として知られており、アニメ『ポケットモンスター』の主人公「サトシ」は、田尻さんの名前から取られている。
そんな田尻さんのゲーム哲学は、「動詞がゲームを作る」という考え方だ。その哲学に基づいて「めくる」という動詞をアイデアにして生まれたのが、1989年6月27日に、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)から発売されたファミコン用ソフト『クインティ』だった。
『クインティ』は、プレイヤーがさまざまなキャラクターを操作し、床のパネルをめくって敵に攻撃したり、アイテムをゲットしたりするゲームシステムが特徴。その新鮮なゲームシステムが受け、販売は大成功を収める。
その『クインティ』だが、田尻さんは当時ゲーム制作会社などに所属していなかったため、開発機材そのものを自作。数年の努力の末に完成した『クインティ』をナムコに売り込み、結果的に販売されることとなった。
この成功により得た印税を資金に、株式会社ゲームフリークを立ち上げ、『ポケットモンスター』の開発に繋がっていく。
■「元祖天才ゲームクリエイター」中村光一さん…『ドラクエ』制作に関わるきっかけになった『ドアドア』
最後に紹介するのは、中村光一さんだ。中村さんは、高校3年生の時にエニックス(現:スクウェア・エニックス)主催のゲームコンテストで入選し、そこで同じく入選した堀井雄二さんと邂逅。後に『ドラゴンクエスト』シリーズの制作に携わることとなった。
中村さんの原点となったのは、そのゲームコンテストで入賞したパソコンゲーム『ドアドア』だ。当初はナムコの『ディグダグ』をコピーして応募しようとしたが、規定によりオリジナル作品を作ることに。『ディグダグ』の面白さの要素をそのままにできないかと考えていたところ、友達が教室に出入りする様子を見て、「これだ!」とひらめいたという。
『ドアドア』はファミコンなどにも移植され、ヒット作品に。そこで得た資金を元手に、仲間と「チュンソフト(現:スパイク・チュンソフト)」を設立。その後、「不思議のダンジョン」シリーズや「サウンドノベル」シリーズなどの画期的な作品を生み出すことになる。
今回紹介したゲームクリエイターたちが持つ才能と情熱の深さは計り知れない。彼らの作品は、ゲーム業界に多大な影響を与え、数々のファンを魅了してきた。そんなクリエイターたちの創造性と革新性に改めて敬意を表したい。