■初代「バルイーグル」と松任谷由実の意外な関係
“初代バルイーグル”の川崎龍介はもともと、“若大将”加山雄三の付き人だった。そこからチャンスを掴み、サザンオールスターズと同日、1978年6月25日にレコードデビューを果たしている。
25歳の川崎には当時流行っていたニューミュージック路線が用意された。デビュー曲の『サマー・ブリーズ』は、すでに高いネームバリューを誇っていた“ユーミン”松任谷由実の作詞・作曲だったのだ。松任谷の起用は、制作者側の期待の高さをあらわしているが、レコードはあまり売れなかった。
余談だが、『サマー・ブリーズ』は不発だったものの、メロディだけは多くの人々に親しまれている。なぜなら、松任谷が名盤の誉れ高い自身のアルバム『SURF&SNOW』(1980年)にて、歌詞とアレンジを変えてリメイクしたからだ。タイトルは『サーフ天国、スキー天国』。いわずもがな、日本のリゾート系ソングの最高峰である。
話を戻すと、以後の川崎は『こころに海を』『君とふたりで』といったタイトルの、いかにも加山雄三風のシングルをリリースしたもののヒットに至らず。その一方で、バラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)、テレビドラマ『猿飛佐助』(日本テレビ系)とテレビ出演の機会には恵まれた。そこから、『太陽戦隊サンバルカン』の主演が決まるのだ。
ただし、川崎が檜舞台に立っている時間は短かった。半年で番組を降りると、テレビ出演の機会はほとんどなくなる。やがて郷里の熊本に戻り、親が経営する店を手伝いながらラジオパーソナリティなどローカルな芸能活動を始めるようになり、現在に至っている。