1983年に発売されたファミリーコンピュータは、2023年7月15日をもって40周年を迎えました。それまでもいくつかのゲーム機はありましたが、ファミコンの大ヒットこそ現在に続くゲームのありさまをけん引したといっても過言ではないでしょう。その開発には大きな苦労があったと思いますが、我々も遊ぶために苦心惨憺を重ねていたのです。そこで、きっと皆さんも心当たりがあるであろう、「ファミコンで遊ぶために苦心したこと」を振り返ってみたいと思います。
■四角ボタンが戻ってこない「初期型ファミコン」の悲劇
ファミコンが発売された当時は、結構マニアックな存在でした。値段も1万4800円とパソコンよりは大幅に安いものの、当時としては結構なお値段。それゆえに、友人の家でファミコンで遊んだときには「ゲームセンターのゲームが家に!」と衝撃を受けた覚えがあります。
早速遊ばせてもらい楽しんでいたものの、初期のファミコンはコントローラのA・Bボタンがゴムで、思いっきり押し込むと戻ってこないこともしばしば。それが原因でやられたり、ゲームオーバーになった人も多いのではないでしょうか。
■おもちゃ屋巡りをしてなんとかゲットできた「全然手に入らなかった」ファミコン
友人宅で遊び、そんなファミコンの面白さを知ってしまったからには、欲しくなるのが当たり前。しかしその頃にはもう大人気で、どこにも本体が売っていない状況でした。
いまと違ってネットもなければ家電量販店もなく、購入できるのはデパートか街のおもちゃ屋さんぐらい。しかも、いつ入荷するかもわからず、その個数も少な目でなかなか手に入るものではありませんでした。私もたびたび日曜日に親と一緒におもちゃ屋さんを巡ってもらい、ようやくファミコンを買えたのは1985年の12月頃でした。なんでそこまで覚えてるかって? そりゃあ、一緒に買ったソフトが『スペランカー(アイレム)』だったからですよ……。
■アンテナ線って何!? 「RFスイッチ接続」に四苦八苦
ようやく購入したファミコンも、遊ぶためにはRFスイッチでテレビと接続しないといけません。その際に同軸ケーブルを剥く必要がありますが、これがなかなかにやっかい。黒い外装を丁寧に剥くと網状の金属皮膜がチクチクして指にささります。その中心には絶縁体に包まれた芯があるのですが、絶縁体を切るときに誤って芯も切ってしまったり、短すぎて剥きなおしたりと結構手間がかかります。
なんとか接続に成功しファミコンが遊べるようになったものの、テレビのアンテナ線のつなぎ方が悪くて「テレビ映りが悪くなった」なんて家族に言われた人も多いのでは?
■購入ゲームを年に数本吟味「ハズレソフト」を引くと貸し借りでも使えず…
高額なパソコンに比べれば、ファミコン本体は格安ですし、ソフト自体も5000円前後と破格な値段でした。とはいえ、小中学生にとって5000円は超大金。いまのように頻繁にセールがあるわけでなく、日ごろからお小遣いを溜めたり、お年玉を使わせてもらったりしても、1年に買えるソフトはわずか2、3本でした。
私のようにゲームを買うお金をなんとか工面し、ハズレを引かないようファミコン雑誌を見ながら必死に吟味していた人も多いと思います。なぜなら、当時のファミコンソフトは子どもにとって戦略物資でもあったんです。面白いソフトなら友だちとの貸し借りで人気ソフトと交換できましたが、微妙なソフトだと相手の反応も悪く借りられなかったり、後回しにされたりしたことも「あるある」ではないでしょうか。