40代〜50代の男の子であれば、「不良」や「ヤンキー」という存在に一度は憧れたことがあるに違いない。そしてそれは、女の子も同じだったと思う。そんなわけで今回は、アラフィフ世代が通ったであろうヤンキー漫画の金字塔『ホットロード』(作:紡木たく)をピックアップしよう。複雑な家庭環境に孤独を感じていた和希と、暴走族の春山。二人の出会いと、切ない青春を描いた本作に、中学二年生時に洗礼を受けた筆者(男)の、当時の嘘偽らざる心情を交えつつ、作品の魅力と影響力に迫っていきたい。
■「少女漫画ってこんなに大人なの?」という衝撃
中学生時代、学校の女子の間で紡木たくが異様なまでに流行った時期があった。そして中学二年のある日の放課後、クラスのとある女子から「これ読んでみて!」と手渡されたのが『ホットロード』だった。妹の影響で『りぼん』や『なかよし』『別マ』といった少女漫画誌を愛読していた私は、ふだんからクラスの女子と少女漫画の話で盛り上がっていたから、その流れだったと記憶している。しかしそんな少女漫画好きな私からしても、『ホットロード』は衝撃だった。そこにはこれまで読んできたどの少女漫画とも違う、ケタ違いに大人な世界が広がっていたからだ。
消え入りそうなほどに繊細な筆致、詩的なモノローグ、複雑で美しいコマ割りとカメラワーク、映画のような引き絵、輪郭線のない表情描写、抑制されたセリフ回し……。当時はここまで言語化できなかったものの、とにかくまったく新しい体験だった。そしてそれと同時に、「女子ってこんなこと考えてるの?」と驚きもした。つい1、2年前までは同じ目線、同じ価値観でケラケラと笑い合っていたはずなのに、いつの間にかまったく別の生き物に進化していたのだ。孫悟空とピッコロのバトルに一喜一憂している自分が急に恥ずかしく思えてきて、女子の前ではあまり少年漫画の話題を口にしなくなった。私にとって『ホットロード』は、「女子は圧倒的に大人である」ことを思い知らされた作品でもあった。
■あまりにも悲壮で鬱屈した感覚
『ホットロード』の世界は、当時の私からすれば完全にファンタジーな存在だった。リアルな雰囲気はあるし、夢中になって読んだものの、では女子と同じ目線で楽しめたのかと言えば、そうではなかった。主人公・和希が抱えるあまりにも悲壮で鬱屈した感覚は、男子のソレとはあまりに縁遠いものだったからだ。男子であれば、悶々とした感情は暴力や暴言、破壊行動という形で分かりやすく現れるが、女子はその点が複雑な時代。そこに考えが及ばなかった中二の私は、和希のことを「めんどくさいやつ」としか見れず、あまり感情移入できなかった。今の時代、「男だから」とか「女だから」といった表現はあまり使いたくはないが、少なくとも80年代当時、中学生だった僕らはどうにかして「男」になりたかったし、少女たちはなんとか「女」になろうと、それぞれでもがいていた。その意味で『ホットロード』は、少女が「女」になるための必修科目のひとつだったのかもしれない。