これまでスポーツ漫画やバトル漫画では、手に汗を握るような名勝負がいくつも生まれてきた。実力が均衡して、最後のページをめくるまでどちらが勝つのか分からない、というのは読者にとっても幸せな漫画体験だ。
そんな名勝負の中でも、敗者なのに勝者よりも印象が強いというパターンもある。いわゆる「試合に負けて、勝負に勝つ」という展開で、完全に勝者を食ってしまう形だ。
たとえば、森川ジョージ氏によるボクシング漫画『はじめの一歩』の間柴了と木村達也の戦いだ。間柴はジュニアライト級の日本チャンピオンとして、防衛戦で木村を迎え撃つ形となった。木村と間柴の実力差は誰が見ても明らか。
木村本人も間柴に勝てないことが分かっており、考え抜いた末に新たな武器として必殺パンチ「ドラゴンフィッシュブロー」を編み出す。だが現実は厳しく、間柴のフリッカーによって手も足も出ない状況が続いてしまう。
そして間柴が「世界への実験はほぼ終わった」と試合を決めに向かった7ラウンド、状況が一変する。木村の諦めない心、執拗なボディ、間柴のスタミナ切れが重なって間柴が追い詰められることになったのだ。そして8ラウンドではボディをおとりにしたドラゴンフィッシュブローが炸裂。間柴は初めてのダウンとなり、そこから立て続けに木村の応酬を受けると、立っているのもやっという状態になってしまう。
「全てを失う」そんな気持ちが間柴を動かし、無様にも木村の攻撃を逃れようとしたことで、観客からもブーイングの嵐となった。そして、9ラウンドで遂に決着。木村のドラゴンフィッシュブローに合わせた間柴のストレートが、わずかに先に当たり木村は崩れ落ちたのだ。
木村は立ち上がるが、意識は既に無かった。実力差から余裕の勝利を確信していた間柴があと一歩のところまで追い込まれ、勝利者インタビューを受けることなく、会場を後にすることになった。
連載20周年の2009年に行われた「ベストバウト投票」企画では、この試合が「ホーク・鷹村」「千堂・幕之内」「伊達・幕之内」に次いで4位という結果になっている。それまでサブキャラのひとりだった木村が、誰よりもカッコいい「負け」を見せたことが、多くの読者を感動させたのは言うまでもない。