ASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDジャケットや、『夜は短し歩けよ乙女』、『四畳半神話大系』、さらには音楽の教科書などの書籍カバー、浅田飴などのパッケージイラストレーションなど、誰もがその絵を一度は見たことがあるであろう、中村佑介氏。現在その画業20年を振り返る『中村佑介20周年展』が、東京・水道橋の「Gallery AaMo(アーモ)」にて開催中。この大規模展では、学生時代のイラストやラフ画など、貴重な展示もたっぷり。今回は中村佑介氏にインタビューを行い、あらためて展覧会への想いを聞いた。
※ ※ ※
【関連記事】『四畳半タイムマシンブルース』夏目真悟監督「きっちり作りつつも説明しすぎない」緻密な作品ゆえの匙加減(インタビュー前編)
■これすぐダサいって言われるやつやな
ーー画業20周年記念の大規模な展示を先程拝見しまして、本当に圧巻でした。今回の展覧会の開催を聞いた印象はいかがでしたか。
中村 “あ、また東京でやらせてもらえるんや”と思いました。けれど、僕の中では15周年の展覧会のときから続く巡回展の感覚なんです。なぜなら、もともと本屋さんなら表紙を通して、CD屋さんならジャケットを通して、常に展覧会をしている気持ちで仕事していました。
だから今回は原画と同時にいくつか下書きやラフ画も飾ってはいますけれど、15周年展のときは、完成品(印刷物)以外を見てもらうという発想がなかったんですよね(笑)。
ーーその心境はどのように変わったのですか。
中村 いまも、本当は興味がないので変わっていません(笑)。よく映画のメイキングとか、小説やマンガの書き手のノウハウ的なものがありますが、そういったものに僕自身は全く関心がなく能動的に見たこともなかったんです。
ただ、この展覧会をやっていく中で、 僕の絵を見て下さってる皆さんと触れ合う中で「ラフを見れたのが良かった」と言われることが多かったんです。僕は下書きやラフはその仕事が終わると毎回全部捨ててたので、残っていたものだけをたまたま展示していたのですが、メイキング的なものの見方で来場して楽しんでくれた方もたくさんいた。
それからは下書きからラフなど、前段階の絵を残していってるんですよね。あとは前段階をトレースボードで下にあてて、本描きは別の紙に描いたり。それまでは1枚の紙の上でやっていたので、鉛筆の下書きはペン入れが終わったら、消しゴムで消しちゃうので残ってなかったんです。
ーーそれをわざわざ作られているのが、すごいです。それらの絵を描かれた20年前、デビューされたときの心境は覚えていますか。
中村 大学卒業後、20代前半で初めてお仕事させていただいたときに、僕がどれだけ頑張っても、時代に抗うのは難しいなとすぐに感じました。しかも、僕の場合は幸運なことに最初からたくさんの方に絵を見てもらえたからこそ、「あ、これすぐダサいって言われるやつかも!」と恐くなりました(笑)。
ーーそれぐらいご自身を客観視してたんですね。
中村 いやー、だって僕もそれまで消費者として、あらゆる絵に対して同じことを感じてきたわけだから、それは僕に全部跳ね返ってくるわけです。
まず僕みたいなマンガやアニメ文化からの影響もあるイラストって主に“若い方が描いて、若い方が需要する”という風潮が一般的でした。だからこそ流行り廃りが激しい。たとえばアニメにしても、つい最近だと思っていた2010年代のアニメといまのアニメって、同じジャンルでも全然キャラクターデザインの仕方も色の使い方も違いますよね。それみたいなもので、20年も同じ作風で応援していただけるなんて思ってもなかったんです。
だから、ただただありがたいなっていう気持ちで、展覧会は開催させて頂いてます。なのでラフ画もそうだし、とにかく安く、とにかく物量があって、もう絵と絵の感覚が5センチみたいな感じで、これだけ広い会場なのに、全く“間”を活かさないくらいの、お返しの気持ちです。