ある時、私は蝶になった夢を見た。
私は蝶になりきっていたらしく それが自分の夢だと自覚できなかったが、
ふと目が覚めてみれば、まぎれもなく私は私であって蝶ではない。
蝶になった夢を、私が見ていたのか。
私になった夢を、蝶が見ているのか。
きっと私と蝶との間は、区別があっても絶対的な違いと呼べる物ではなく、
そこに因果の関係は成立しないのだろう。
~荘子~
これは、1996年9月20日に発売されたプレイステーション用ソフト『女神異聞録ペルソナ』のOPで流れる荘子の「胡蝶の夢」の一節です。この不思議な感覚、誰もが一度は経験したことがあるではないでしょうか?
「自分はいったい何のために生まれてきたのか」なんて考えているうちに「自分」というものを見失いかけてしまう、という思春期くらいに陥ってしまう思考。この文章を頭に持ってくるセンスこそ、『ペルソナ』の大きな魅力であると思います。ということで今回は、初代ペルソナ・P1について書いていこうと思います。ご紹介が遅れました、私、お笑い芸人のヤマグチクエストです。
『ペルソナ』シリーズと言えばアトラスを代表する大人気RPGシリーズで、2016年に発売された『ペルソナ5』は大きな話題となりました。なので、もしかしたらプレイされたことがない方でも、主人公・ジョーカーの名前やあの疾走感あふれるBGMを聞いたことはあるかもしれません。
また、「『ペルソナ』は個性豊かなキャラクターたちが特徴の爽やかで明るいポップなRPG」だと思われている節もあるかと思います。現に私がそうでした。私が初めてプレイした『ペルソナ』シリーズ作品は『ペルソナ4』。シリーズものではありましたが、友人が「4なら初見でも楽しめると思うよ」と背中を押してくれたことがきっかけで、実際にプレイしたところ「ベルベットルーム?なんじゃそら?」状態からでも十二分に楽しむことができました。
中でもアニメーションの出来とキャラクターたちの心理描写がとても素晴らしく(特に菜々子ちゃんが次第に心を開いてくれるところ)、それぞれの人物の個性が際立ち、主人公だけでなく仲間たち(仲間に入らないキャラクターも)の感情・物語も丁寧に描かれており、死ぬほど感情移入ができるような作りになっている点にはもはや感動を覚えました。
さて、『ペルソナ4』にてシリーズデビューを飾った私は「初代からやってみよう!」と思いたち、早速『女神異聞録ペルソナ』をプレイすることにしましたが、そのギャップに腰を抜かしました。
冒頭に書いた「胡蝶の夢」の一節が流れるOPも、まるでこちらの恐怖心をあおってくるようななんとも暗くもの悲しいBGMとムービーで、「え、初代ってホラゲだったの!?」と勘違いするような演出。さらにゲーム開始後も不穏でダークな雰囲気が漂っていました。
実は『女神異聞録』という冠がついていることからも分かる通り、『ペルソナ』は『新・女神転生』シリーズの外伝的な作品であり、その流れをくんでいるのです。なので、メガテン特有のダークな雰囲気が残っているわけですね。
メガテンという作風を受け継ぎつつ、新規層を取り込むために作られたのが本作とも言われています。序盤のピクシーが優秀な点も相変わらずです。ダークな雰囲気が強くとも、初代作品からすでに高校生の少年少女たちの成長物語と重厚なシナリオという“ペルソナの強み”は力強くそこに存在し、ポップさはなくとも立派な「名作」でした。
ただ、初代ペルソナが「遊びづらい」と思われているのも事実で、後にその遊びづらさやダークさを最近のペルソナの雰囲気に合わせたBGMに変更することで、よりキャッチーにリメイクしたPSP版『ペルソナ』も発売されました。PS版を発売から時間がたってから遊んだ私からすれば、どちらで遊んでもこの作品の魅力は損なわれないだろうと思いますが、PS版が「遊びづらい」と思われて敬遠されてしまうのはもったいないと思っています。
ということで今回は、「遊びづらい=つまらない」じゃないんだぞ! ということを声高に訴えていこうと思います。どちらかというと未プレイの方に向けた文章なので、なんじょうくんのあの専用ペルソナの話やオグン弱すぎといった話はいたしませんのであしからず。