■飯野賢治さんが遺した名作ゲーム
飯野さんは『Dの食卓』の後、セガ・サターン向けに『エネミー・ゼロ』(1996年)という作品を開発しました。この『エネミー・ゼロ』のジャンルは飯野さん独自のジャンルであるインタラクティブ・ムービーとされており、『Dの食卓』同様にムービーにもこだわっています。が、かなり制限が多いゲームで、プレイヤーの間では相当遊びにくいことでも有名です。
近しいジャンルとしてはFPSのアクションゲームを想像していただけたらと思うのですが、知らない方に分かりやすく言うと、まず本作はセーブだけでなくロードまでも有限だったり、難易度ノーマルですら敵を倒すための弾数のやりくりがかなりシビアだったりします。そして最大の特徴は、敵の姿が見えないということです。これはあまりにも斬新でした。
VPSという装置を使うことで「音」によって敵の位置が分かる、というシステムになっており、これによって敵の位置を「推測」して弾を撃たなければいけません。この激烈な難易度により「この先に敵がいたらどうしよう」と耳を澄ませながらゲームをするという、これまでのゲームでは味わえないような臨場感・緊張感を表現しました。
しかし、当然ながらこういったゲームは万人受けするものではなく、発売前のテストプレイの段階で友人のゲームクリエイターの方に難易度を下げるように、遊びやすくするようにとアドバイスを受けていたそうです。それでも飯野さんは自身の意思を曲げず、『エネミー・ゼロ』という作品を生み出したのだそうです。
さらに飯野さんの代表作として紹介しておきたいのが『リアルサウンド ~風のリグレット~』(1997年)です。このゲームは、ゲームでありながらまさかの「映像なし」で、プレイヤーは音を聞いてストーリーを追い、チャイムが鳴った際に選択肢を選んでシナリオを進めていくというサウンドノベルゲームでした。
あまりに斬新だったためか、ラジオドラマ的でストーリーも面白いという声もありながらもファミ通のレビューなどではなかなか厳しい声もあったようです。
『Dの食卓』でまるで映画のような表現・演出でプレイヤーを驚かせたことからも分かるように、飯野さんは強いこだわりと新しいものを生み出したいというパワフルな創造力にあふれたクリエイターでした。
そのパワフルさからそのファミ通のレビューにかみついたり、『エネミー・ゼロ』の出荷本数をめぐってトラブルになったりなど尖った話題も事欠かきませんでしたが、そうした言動もある種のカリスマ性を秘めていました。
そんな飯野さんですが、2013年に42歳の若さで亡くなってしまいます。2000年頃に設立した会社「スーパーワープ」では自販機の自動決済を手掛けるなどゲーム以外のビジネスも始めていたことからも分かるように、常に新しいものを作り続ける方だった飯野さん。
もしも、VRやHDリメイクなどが盛り上がってきている今の時代にゲーム作りを続けてくださっていたらいったいどんな「新しい遊び」を私たちに見せてくれたのだろうか、と思うと残念で仕方ありません。
もしかしたら『Dの食卓』がゲームの3D表現の進歩を押し上げたように、今私たちが知っているVRの表現ももしかしたら飯野さんならではの魅せ方で新しい発見をしてくださり、VRの進化を押し上げていたかもしれません。
すべて想像の域を出ませんが、それだけセンセーショナルな何かを作り、業界に多大な影響を与えたクリエイターであることに疑問の余地はありません。