名作『北の国から』今も忘れられない「伝説の名シーン」 ネットミームにもなった「胸打つセリフと演技」の画像
DVD『北の国から ’84夏』©Fuji Television

 1981年から1982年にかけてフジテレビ系列で放送された、倉本聰さん脚本による『北の国から』。離婚を機に東京から北海道・富良野の電気も通らない森の中に引っ越してきた黒板五郎、小学生の息子・純、螢という小さな家族の成長と、彼らに関わる人間味溢れる人々の人生を、泥臭く、そしてハートフルに描いたヒューマンドラマである。

 愛情深いながらも不器用な五郎と子ども達の物語は多くの人々の心を捉え、シリーズ終了後もスペシャルドラマが制作される国民的ドラマとなった。

 そして、9月18日に倉本さんが亡くなったことを受け、1981年の放送開始日と同じ10月9日に追悼特別番組として、連続ドラマ終了から約1年後の家族を描いた『北の国から ’83冬』が放送される。

 今回は、長い歴史を誇る『北の国から』シリーズのなかから胸を打つ“伝説シーン”を3つピックアップし、その背景にある物語とともに振り返りたい。

 

※本記事には作品の内容を含みます

■不器用な家族の愛に涙腺崩壊!捨てられた靴を捜す第23話

 まずは、連ドラ第23話で描かれた父子の絆を象徴する名場面である。物語が動いたきっかけは、離婚後に東京で暮らしていた五郎の妻・令子の急死だった。

 葬儀のため一足先に東京へ向かった純と螢。しかし、そこにかつての居場所はなく、母が不倫相手だった吉野と新たな家庭を築こうとしていた現実を突きつけられる。

 純と螢がやるせない思いを抱えながら公園で時間をつぶしていると、そこに式場を抜け出してきた吉野の姿が。純たちにとって到底心を許せる相手ではないが、彼は2人のボロボロの靴を見かねて新しい靴を買い与えた。

 履き古した靴は、富良野に来たばかりの頃に五郎が買ってくれたもの。雨の日も風の日も履き続けてきた、思い出が詰まった1足だった。だが2人は戸惑いながらも拒絶できず、古い靴は店舗で処分されてしまった。

 こんな時に父親が支えてくれたら心強いだろうが、純の目には遅れてきた五郎が頼りなく見えていた。ところがその夜、五郎が自分の飛行機代を工面できず、1人だけ汽車で来たことが判明する。

 父の不器用ながらも深い想いに気づいた純と螢は、捨てられたあの古い靴への想いが込み上げ、夜の街へ駆け出していく。

 そしてゴミ捨て場で靴を捜していると、通りかかった警官が声をかけてきた。「前に履いていた靴を探している」「おじさんは母さんと結婚するはずだった人」「母さんは4日前に死んだ」と声を詰まらせながら絞り出す純。その心中を察した警官は、何も言わずに一緒に靴を探し始めるのだった。

 靴は結局見つからなかったが、家族の間にある複雑な思いと見知らぬ人の温かさが描かれたこのエピソードは、色褪せない名場面として語り継がれている。

■ミームになった伝説の「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」

 「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」。このあまりにも有名なセリフは、スペシャルドラマ『’84夏』で生まれた。当時の純は13歳。多感な時期である。ある時、彼は親友・正吉とともに、ちょっとした不注意から、五郎が一生懸命に建てた丸太小屋を全焼させてしまう。

 正吉が正直に告白する一方、純は恐怖と保身から本当のことを言い出せず、その罪悪感から2人の距離は開いてしまう。当時の純はこのほかにも、正吉とともに友達の努をパンツ一枚で外に放置したり本を盗もうとしたりと、たびたびトラブルを起こしていた。しかも、その責任を正吉になすりつける卑劣さも見せている。悪ガキながらも自分の非を認めた正吉と比べると、純の未熟さはどうしても際立ってしまう。

 そんな折、行方をくらませていた正吉の母・みどりが戻り、彼は母と共に帰ることになる。正吉が去ったことで自責の念に駆られた純は、見送りの後、閉店間際のラーメン屋で五郎にすべてを打ち明けた。

 涙をこらえながら1つひとつ過ちを告白し、「卑怯で弱虫だから言えなかった」と絞り出す息子を、五郎は責めることなくただ優しく受け止める。そこに店員が退店を促しにきた。ぶっきらぼうな態度もさることながら、泣いていて食べられない純の前から丼を下げようとする行動には、なんともやりきれないものがある。

 ここで店員に怒った五郎の口から、あの名セリフ「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」が飛び出す。声を荒げる五郎の姿には、息子の告白を静かに見守る親の温かい愛情がにじんでいた。

 怒鳴られた拍子に床に落ちたラーメンを、螢が静かに片づける姿もまた印象的だ。何も言わずに純を気遣う螢の優しさが、この名場面をより味わい深いものにしていたと言えるだろう。

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