■「面白いことを考えたい」と探して辿り着いた伝説のANN
晴れて業務用菩薩は東京大学に入学する。大学では演劇や落研で裏方として活動した。友人に誘われて自身も時折舞台にも立ちながらも、自分はどうしたらよいかわからずにいた。
「高校時代は結構演劇を見ていたんですよ。その流れで大学に行ったら自分で脚本を書いたり演出したりしようと考えていたのですがなかなかうまく書けず……。でも面白いことを考えていたいと悶々としていました」
常にアウトプット先を探していた業務用菩薩は『南海キャンディーズ山里亮太のオールナイトニッポンR』に出会う。
「忘れもしない大学3年の夏でしたね。初めて常連となった番組です。受験の時にラジオから離れていたから4年くらいブランクがあるなかでまたラジオ聞こうと思い立ったんですよ。一通り全部の番組を聞いてみて一番おもしろかったのが山里さんのオールナイトニッポンでしたね。『モリスエ道場』というコーナーが好きでしたね」
『モリスエ道場』は森末慎二のオリジナル体操技に「モリスエ」と名前がついたことから生まれたコーナーだ。森末慎二の体操技以外のオリジナル行動にも「モリスエ」と名付けようといった内容のコーナーである。奇跡的にかろうじて残っていた当時の台本には以下のように書かれている。
(コーナー説明)
森末慎二になりきって、独自の技や行動に「モリスエ」と名づけるコーナー。
(例)
えっ!? 居酒屋行っていきなりお茶漬けを頼むのって俺だけ!?
じゃあこの技、「モリスエ」。
このコーナーを発案したのは山里氏である。たしか中野の居酒屋だった記憶がある。
「モリスエのコーナーではよく採用していただきました。山里さんがフリートークとしていると何の前触れもなく、森末慎二が歌う『ムーンリバー』が流れてきて、『おっとこの曲が流れてきたということは!』とコーナーが始まりました。こういう構成はあまり聴いたことがなかったので衝撃でした」
ちなみにこの曲は、森末慎二がジャズ・スタンダードをカバーしたCD『Summer Rainbow』 に収録されている。
「他だと『北島ファミリーとすれ違う』というコーナーも楽しかったですね」
このコーナーは北島ファミリーと道ですれ違った時に聞こえてきた会話を考えるコーナーである。こちらも台本がかろうじて残っていた。
(コーナー説明)
人間生きていれば、いつかは北島ファミリーとすれ違うこともあるはず。そんな時はもちろん誰もが彼らの会話に聞き耳をたてるでしょう。その時聞こえてきた会話を送っていただくコーナーです。
(例)
「おい譲二、もう、これ外していいか?」
「おい譲二、キャンパスライフってのを楽しんだことはあるか?」
「おい譲二、なんだこの自転車は! えっ、これは一輪車っていうのか」
業務用菩薩はこのコーナーも得意だった。どちらも「ある種のセンス」が必要なコーナーであり、趣旨と世界観の理解が必要となる。業務用菩薩は相手(この場合は山里氏)が求めているものを察し、意図を汲み、考え、作る能力があった。この手の投稿者がいるといないとでは番組にとって大きな差だ。コーナーの初動が早くなり、呼応した者たちの投稿が増える。特にモリスエのコーナーは菩薩の力が大きかったと記憶している。
「仮装大賞のコーナーも好きでした。基本仮装のタイトルと仮装する人物やグループと仮装の内容だけを投稿して、そこから山里さんがオリジナルワードを乗せてくれて、オンエア中にネタを仕上げてくれるという、これまた他では聞いたことのない形のコーナーでした。聞いていてほんと楽しかったです。『5人の坊主が5本の指となって巧みに動く!10番、charの指使い』という投稿をたまに思い出してしまいます。最後に山里さん扮する欽ちゃんが審査員に話を聞くところで終わります。『いかがでした、ファイナルファンタジーⅦのクラウドの仮装をした山本晋也監督』などと言って」
『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(当時)をモチーフにしたコーナーで、仮装大賞の音を出す玩具を使って放送した。どうやってこのコーナーが誕生したかは定かではないのだが、私は小道具を買ってからコーナーや企画を作ることが多いので、その流れでできたものだったのかもしれない。壊れた時のために予備でいくつか買ったものの結局壊れることなく番組は終わり、未開封のものをまだ所持している。動作確認はしていない。
「僕は初回と2回目の放送を聴けていなくて、これは乗り遅れてしまっているから投稿したとしても番組や山里さんが求めているものとずれてしまって、嫌われてしまうかなと思いまして、投稿は諦めようと思っていたんです。でも当時番組のホームページがあって、そこに各コーナーの説明と投稿例が書いてあったので、途中からでも入りやすかったです。
山里さんの番組はパーソナリティとリスナーみんなで重ねるように答えを出していく番組だったので、積み重ねるのを8、ちょっと飛ばしたことを2くらいの配分で投稿していったのを覚えてます。とにかく番組はパーソナリティのものだと思っていて、変に自己主張や嫌われないようにしようと考えてました。顔も出さず声やニュアンスを一切抜いた状態で、ネタのみで判断されるのですごく神経質にもなってました。
読まれなかった日は『嫌われた……こいつ調子に乗ってるな』と思われたかなとか、『おもしろくない奴だ』と言われている気がしてすごくショックな1週間を過ごしていました。と同時に、これがいわゆる常連の感情なんだと思いました。とにかく3ヶ月、かけがえのない経験ができました」


