「ものまね四天王」によって空前のブームが巻き起こった1990年代のものまね。以降、お茶の間で安心して楽しめる“鉄板コンテンツ”となった。そのコンテンツを巡る、フジテレビの『ものまね王座決定戦』と日本テレビの『ものまねバトル』の争いは、土8戦争と並んで語り継ぐべき視聴率戦争だったと言える。
ものまねで重視されることは、似ていて感動することか、誇張していて面白いことか。似た番組をつくる場合、どう他局との違いをどう図るのか。
いまだ語られてこなかった「ものまね芸人の業」と「テレビ局のプライド」に迫る!
『ものまねイデオロギー闘争』第1回 その2
コロッケさんをスターダムに押し上げたのは『ものまね王座決定戦』での活躍だった。しかし、そして1992年、同番組の看板タレントながらも電撃降板。その決断の裏にあったのは何だったのか――。
――ものまね四天王(清水アキラ、ビジフォー、栗田貫一)にライバル意識はあったんですか?
コロッケ そう思っている方が多いかもしれないけど、それぞれやっていることが違うからライバル意識はなかったんです。アキラさんは下ネタ、ビジフォーは洋モノ、クリカンは正統派、僕はその人がやりそうでやらないことをやる。「アキラさんがあのネタやったらヤバい」ではなく、「アキラさん、何をやるんだろう」と楽しみにしていました。四天王は見せ方が違うから成り立っていたんです。
――ネタ被りも気にしない。
コロッケ そうですね。『第2回爆笑!スターものまね王座決定戦』(87年3月)で、僕が準決勝で『愚か者』を森進一さん、小林旭さん、志村さんで歌って。決勝で僕とクリカンだったんですけど、クリカンが近藤真彦さん、俊ちゃん、布川敏和さんで『愚か者』を歌ったんです。この大会で初めて優勝しました。それぞれのスタイルがあるので、「先にやられたからやりにくい」とか「あのネタはやらないでほしい」という気持ちはないんです。
――四天王で飲みに行くことはあったんですか?
コロッケ みんなは飲みに行っていたみたいですけど、僕は一度もありませんでした。当時は飲みに行くより早く家に帰りたくて。「コロッケは誘ってもこない」が暗黙の了解になっていました。まわりから「コロッケはちょっと遊んだほうがいい」と思われていたんです。
――当時は忙しかったというのもあったと思います。
コロッケ 毎日のように営業が入って、年間400ステージ以上ありました。年4億とか5憶円は稼いでいたはず。ただ、あの頃は固定給だったので、どんなに稼いでも税込みで月40万円でした。90年代前半のタレントショップブーム時、僕も『Mr.CROKET(ミスター・コロッケ)』という店を出していたんです。その店のオーナーに「事務所にいくら入れたの?」と聞いたら、「コロッケさん、嫌になると思いますよ」と断りを入れながら「2億円です」と教えてくれました。
「歩合制にしておけばよかった」という気持ちもあるけど、お金に執着していないから「そんなものかな」と割り切ってます。僕が現役で芸人を続けているから笑い話になるんです。


