■「ここで売れなかったら次はないよな」という覚悟
――84年10月から『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)に出演します。『ものまね王座』は森昌子さんや五木ひろしさんといった歌手がものまねする番組でしたが、ディレクター(87年からプロデューサー)の木村忠寛さんがお笑い路線にシフトさせたのでしょうか?
コロッケ 「笑い」は僕らが勝手にやっていたんです。木村さんはむしろ「何、勝手にやっているんだ!」と怒ってました。特に僕はリハーサルと違うことをやっていましたから。結局、制御不能だとわかって、どこからでも撮れるようにカメラを増やしてくれました。
木村さんがすごかったのは「見せ方」。『夜のヒットスタジオ』や『ミュージックフェア』のカメラワークを取り入れたんです。松山千春さんの『恋』を歌う際、普通のバラエティ番組だったら正面から撮るけど、木村さんはミラーボールを映してからヅラを被った僕を撮る。それだけで面白くなっちゃうんです。
――コロッケさんは「『ものまね王座』で売れてやろう」という気持ちがあったんですか?
コロッケ めちゃくちゃ狙ってました。最初に出演したとき(『第16回オールスターものまね王座決定戦』)の1回戦で、トシちゃんの『騎士道』を振付はそのまま、顔はちあきなおみさん、声が小林旭さんで歌って。木村さんには「何を見せたいんだ。わけわかんねぇよ」と怒られました(笑)。理解されなかったけど、「やりすぎ」でいいと思ったんです。後の四天王、ダチョウ倶楽部とは、「ここで売れなかったら次はないよな」と話していました。
――番組側から「ものまね四天王として売っていくから」と言われたんですか?
コロッケ そうそう。「コロッケ、清水アキラ、ビジフォー、栗田貫一で四天王としてやっていくから」と言われて。僕は「よくわからないけど、盛り上がるならいいか」と受け入れたんです。
――ものまね四天王はブレイクします。
コロッケ あの頃は必死でしたよ。番組が年に4回あって、そのたびにネタを4本作らなきゃいけない。しかも、ウケなきゃいけませんから。
【コロッケ編第2回につづく】
【プロフィール】
大貫真之介(おおぬき・しんのすけ)
ライター、編集者。TV局ADや編集プロダクション勤務を経てフリー。アイドルやお笑い、プロレス、80年代文化など多岐にわたるジャンルで多くの雑誌に寄稿。主な著作に『私がグループアイドルだった時』(双葉社)などがある。
【プロフィール】
コロッケ
1960年3月13日生まれ、熊本県出身。80年、『お笑いスター誕生』でデビュー。85年、『ものまね王座決定戦』で注目を集め、以降、ものまね四天王の一人として活躍。14年『文化庁長官表彰』、16年『第16回日本芸能大賞』など受賞多数。


