「ものまね四天王」によって空前のブームが巻き起こった1990年代のものまね。以降、お茶の間で安心して楽しめる“鉄板コンテンツ”となった。そのコンテンツを巡る、フジテレビの『ものまね王座決定戦』と日本テレビの『ものまねバトル』の争いは、土8戦争と並んで語り継ぐべき視聴率戦争だったと言える。
モノマネで重視されることは、似ていて感動することか、誇張していて面白いことか。似た番組をつくる場合、どう他局との違いをどう図るのか。
いまだ語られてこなかった「ものまね芸人の業」と「テレビ局のプライド」に迫る!
『ものまねイデオロギー闘争』第1回 その1
業界の大ベテランにして、トップランナー。ものまねというジャンルを拡張し、深化と進化を重ねるイノベーター。どんな場所でも老若男女、万人を笑わせるエンターテイナー。ものまね四天王の一角、コロッケが振り返る「ものまね道」とは――。
――子どもの頃、ピーターさんの形態模写に憧れていたんですよね。
コロッケ 『象印スターものまね大合戦』(テレビ朝日系)という、森昌子さんや三田明さんといった人気歌手がものまねを披露する番組があって。そのなかで、曲に合わせてちあきなおみさんや朝丘雪路さんの形態模写をしていたピーターさんに惹かれたんです。
――高校時代、コロッケさんも熊本のスナックで形態模写をやるようになって。
コロッケ 中学3年生から人前でものまねをするようになったんですけど、進学先が男子高だったからモチベーションが上がらなくて(笑)。当時はツッパリばかりで、ものまねをやっても盛り上がりませんでした。それで、スナックでものまねを披露したらウケたんです。
――ものまねで稼いでいたんですか?
コロッケ その頃、新聞配達をしていたんですけど、300軒配ってバイト代が1万円前後で、お金を稼ぐことの大変さを実感していました。ところが、スナックでものまねをしたらチップで5000円もらって、ただで飲み食いさせてくれる。夢のような世界でしたね。
――形態模写のスタイルで『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)に出演します。
コロッケ 芸能界に入るために上京して、9カ月後に『お笑いスター誕生!!』に出たんです。5週勝ち抜いて銀賞をもらって。その後、ゴールデンルーキー賞シリーズで、とんねるず(貴明&憲武)や小柳トム、イッセー尾形、九十九一、アゴ&キンゾーと争いました。
――いきなり通用したんですね。
コロッケ 形態模写をやる人がいなかったのと、見た目がよかったと思います。カーリーヘアでメイクをしてラメの服を着て、芸能界にはいないけど、新宿二丁目のショーパブで見たことがあるようなビジュアルにしました。“変わった人”にセルフプロデュースした戦略が成功したんです。
――あえて水商売の匂いを残したんですね。
コロッケ 当時、僕は飛び込みでショーパブに行って、「ものまねをやらせてもらっていいですか?」と道場破りみたいなことをしていたんです。
――そこで誰よりも笑いをとって。
コロッケ もちろんです。「東京に負けるもんか」という意地がありましたから。いまでこそ養成所出身の芸人ばかりですが、師匠に付かない芸人が活躍し始めた時代でした。


