ツッパリ高校生がなんでドッジボールを…!?名作ぞろい「くにおくん」シリーズ開発秘話【ハードオフ大竹店長の「レトロゲームちょっといい話」】の画像
『ダウンタウン熱血物語』プレイ画面より (C)1989 TECHONS JAPAN CORP.

 数万円から数十万円の値段がつくこともある「レトロゲーム」の世界。そんなソフトがズラリと揃う『ハードオフTOKYOラボ吉祥寺店』の店長にして、自身も大のゲームコレクターである大竹剛氏が、毎回1本のソフトを語るこの連載。今回、ショーケースに並ぶソフトの中から取り上げるのは——?

■『熱血高校ドッジボール部』はくにおくんのゲームではなかった!?

『ハードオフTOKYOラボ吉祥寺店』大竹剛店長(写真/ふたまん+編集部)

ハードオフ大竹店長の「レトロゲームちょっといい話」第19回
 

 『ハードオフTOKYOラボ吉祥寺店』の店長、大竹剛です。かつて、ゲームメーカー「テクノスジャパン」の新潟事業所でくにおくんのドット絵を描いていました。今回も、テクノスジャパンを代表するゲーム“くにおくんシリーズ”のお話です。

 くにおくんシリーズのファミコン用ソフトの中古価格を見ると、連載第1回で取り上げた『熱血!すとりーとバスケット』(1993年)だけが極端に数が少ないため、高額になっています。でも、ほかのタイトルは、そんなにレアではありません。大ヒットした『熱血高校ドッジボール部』(1988年)や『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』(1990年)は、価格も数千円程度ですので、普通に遊びたい方が買っていくようです。

 聞いた話なのですが、『熱血高校ドッジボール部』って、もともと普通のドッジボールゲームとして開発されたそうなんです。でも、「全然売れそうにない」となり、「じゃあ、くにおくんを登場させたらいいんじゃないか」ということになったらしいんですよ。その結果、人気が出て、くにおくんの2作目という位置づけとなり、シリーズが確立されるきっかけとなりました。

 テクノスジャパンは長い間、くにおくんと、同じく人気のあった『ダブルドラゴン』(アーケード版は1987年)の二枚看板でした。でも、将来的にそれだけじゃダメだという危機感があったんでしょうか、新しいものを作ろうと新潟事業所が設立されたらしいんですね。

 でも結局は、この新潟事業所でくにおくんシリーズの制作ラインが増えただけでした(笑)。新しいことにチャレンジする余力がなかったのかもしれません。

■くにおくん以前からヘンな魅力があったテクノスジャパンのゲーム

 私がテクノスジャパンの求人に応募したのは、『ダウンタウン熱血物語』のイラストを見たのがきっかけだという話は、以前にもしました。でも、実はそれよりもっと前から、ちょっとヘンなゲームメーカーだなぁと気にはなっていたんです。

 高校生のとき、ゲームセンターに『バッテンオハラのスチャラカ空中戦』(1984年)っていうシューティングゲームがあったんですね。主人公のおじさんが、飛行機から飛行機へパラシュートで乗り換えながら敵機と戦う、ちょっと変わった内容。そして、これを作ったのがテクノスジャパンでした。面白いかどうかは置いといて(笑)、「こんなヘンなタイトルを付けるなんて、おかしなメーカーだなぁ」と思っていたんです。

 また、友達がいつも遊んでいたのが『ミステリアスストーンズ Dr.キックの大冒険』(1984年)というアクションゲームで、これもテクノスジャパンが開発したタイトルでした。

 主人公の考古学者が、キックを駆使しつつ遺跡を探検して財宝を探す……といった内容はさておき、このゲームはボーナス点がとてつもない! 迷宮で見つけた財宝を持ち帰ると得点が入るのですが、正しい宝の組み合わせで、なんと1億点もらえるんですよ。どんな基準で億の単位になっちゃったんでしょう(笑)。

 とにかく、ヘンなことをして、プレイヤーを楽しませようとしていることは伝わってきてたんですよね。まさかその数年後に、その会社でドット絵を描くとは思ってもいませんでしたけど。

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