1980年代といえば、テレビ、アニメ、ゲーム、おもちゃなど、数々のブームが巻き起こったアツい時代。そんな熱狂の真っ只中を生きたのが、昭和47年(1972年)生まれの芸人・土田晃之。“華の47年組”の一人として、著書『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』を上梓した彼が、子どもの頃に堪能した「昭和カルチャー」を独自の視点で語り尽くします!
■小2でひと目惚れ…どうしても欲しかった「モントリオールIII」
いまでも忘れない、小学校2年の9月に買ってもらったのがアシックスの“モントリオールIII”っていう靴。
通学班が一緒だった2コ上のTくんがその靴履いてて、それがすっげーカッコよくて。踵のところに穴がいくつも開いてて「何これ?」って聞いたら、要は“エア”みたいなクッションになってる。「すげーだろ! お前、アシックスって知ってるか? いま流行ってるんだぜ」って自慢されて。Tくんちは貧乏だったから、つま先のところが破れてるんですけどね。それでもカッコよく見えた。
当時まだ僕は“月星シューズ”みたいな運動靴しか履いたことなかったから「アシックスって何?」みたいな。それで親戚のお金持ちのおじさんに「アシックスの靴が欲しい」って頼んで誕生日プレゼントに買ってもらったんですよ。Tくんとまったく同じ靴。青地に黄色いラインが入ってるやつ。
はっきり覚えてるのが小2の時の足のサイズ。24.5cmでした。中学の頃に28になって、いまは29。小2の時「足でかいから背伸びるよ」って言われてましたね。
小3ぐらいになると『キャプテン翼』が人気でサッカーブームがきて。だから“ジャージ”が一番オシャレだったんですよ。しかもその中でも僕はアディダス。
『キャプテン翼』ってほとんどがアディダスなんですよ。翼くんも、石崎了も、岬太郎も、日向小次郎も全員アディダス。南葛FCも、相手チームの明和FCも全部アディダスです。なかでも若林源三っていう天才ゴールキーパーは、赤地に黒の刺繍で“adidas”って入ってる帽子をかぶってて、みんなそれが欲しかった。
でも当時アディダスが出してた帽子って、赤い帽子は白の刺繍だったんですよ。それを同じクラスのYくんが白い刺繍をマッキーで黒く塗るっていう大胆な行為に出て。しかも小学生だから黒いマッキーが文字からはみ出ちゃってる。
「なんか偽物のアディダスみたいになってんじゃん」
「いいんだよ、俺は若林と同じ帽子なんだからよ」って強がるYくん……。
ところが翼くんたちみんながアディダスの中、三杉淳っていう心臓病のガラスの貴公子、背番号14番の彼だけは「プーマ」。三杉くんは実在のヨハン・クライフっていう、背番号14番、天才、細身のスラッとした選手をモデルにしてるんですけど、クライフが「プーマ」と契約してたから、三杉淳もプーマ履いてるんですよ。そこは漫画もちゃんと守ってるっていう。
当時の小学生ファッションって、みんなジャージ着てサッカーのソックス履いて。それでジャージの下を折って、ソックス出して、みたいな。翼くんのライバルの明和FCの若島津くんがその格好なんです。みんなそれを真似してた。いまだと“ダサっ”ってなるかもしれないけど、当時はみんながみんなその格好でしたからね。
いまは学校のジャージ自体オシャレになってるけど、あの頃の学校ジャージはダッサいから。全体がストンと落ちてるシルエット。当時って裾がすぼまってシュッとしてるスポーツジャージが出始めてたんですよ。だから学校のジャージもそれに寄せて、裾を折ってシュッとしたシルエットに見せたりして。
いま思えば、よく分かんないセンスでも、当時はそれがカッコよく感じるんですよね。それがさらに後になると、今度は裾がスッとなってるシルエットはダサいってなって、あえて裾を切ったりしてたから。ジャージファッションにも流行りがありましたよね。


