■宿敵は死ぬ予定だった!? エボシを生かした意味とは『もののけ姫』
1997年公開の『もののけ姫』は、森を破壊する人間と、森と共に生き、森を守ろうとする“もののけ”たちとの戦いが描かれた作品だ。現代社会が抱える「自然破壊」を感じさせるストーリーで、大人の心にも深く響く名作である。
本作において、山犬に育てられた少女・サンと、タタラ場を築き、シシ神の首を狙うエボシの戦いは大きな見どころの1つだ。タタラ場に単身で乗り込んだサンがエボシに襲いかかるシーンは印象的だった。
物語の終盤、シシ神の首を落としたエボシは、犬神・モロの君の反撃を受けて片腕を失うものの、一命は取り留め、タタラ場の再建を誓っている。しかし、当初の構想では、エボシは命を落とすはずだったという。
本作の制作秘話が書かれた書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(徳間書店)では、宮﨑監督と鈴木プロデューサーの議論の様子が記載されている。それによると、鈴木氏はエボシが生き残る結末に納得していなかったという。
「エボシが死んだ方が、アシタカがタタラ場に残る意味が出る」と言う鈴木氏に、宮﨑監督も一度は同意し、エボシが死ぬ絵コンテを仕上げた。だが、宮﨑監督は思い入れのあるエボシの生死に葛藤したあと、最終的に片腕を失いながらも生き永らえるという結末を選択する。実はこの“片腕を失う”展開の前には、タタラ場も燃えず、エボシも無傷で生き残る結末の案もあったというのだから驚きだ。
最終的にエボシを生かした宮﨑監督は、インタビューにて「映画がいつも希望を語らなければいけないなんて思わない」とした上で「生き残る方が大変だと思っているもんですから」と、持論を展開している。
死ぬはずだった人間が生き残り、死ななくてもいい人が命を落とす本作について、宮﨑監督は「そういう意味では酷く無惨な映画なんです」と自ら評している。それでもなお、エボシが生き残ったことに大きな意味があるのだろう。
エボシは生きることを通じ、自身の罪を償いながら、森と共生する形でタタラ場を再建するという、より重い使命を与えられたのではないだろうか。映画のキャッチコピーでもある「生きろ。」という言葉が、その全てを象徴しているのかもしれない。