
1月31日に劇場アニメが公開された、池田理代子氏の『ベルサイユのばら』。「激しく、美しく、生きた——」というコンセプトの通り、作品発表から50年以上経った今も、その情熱と感動は色褪せることがない。
本作に登場する多くのキャラクターは、実在した歴史上の人物である。たとえば、フランス王妃のマリー・アントワネットは、国家反逆罪により処刑された実在の人物であり、原作でもその最期が克明に描かれている。
そこで今回は、ほかにもいる『ベルサイユのばら』に登場する実在のキャラクターと、彼らの辿ったその後の運命について紹介していこう。
※本記事には作品の内容を含みます
■作中きっての悪女…!? ポリニャック夫人の最期とは
『ベルサイユのばら』に登場するポリニャック夫人は、マリー・アントワネットの寵愛を受けた貴婦人であり、作中では贅沢三昧を極める悪役として描かれている。実は実子であったロザリーの育ての母親を馬車で轢き殺すなど、作中でもインパクトをもたらす悪女だ。しかし、史実のポリニャック夫人はどのような人物であったのか。
ポリニャック夫人(ヨランド・マルティーヌ・ガブリエル・ド・ポラストロン)は1749年に生まれ、ヴェルサイユ宮殿でアントワネットの親しい友人となった。彼女が王妃から寵愛を受け、一族みな宮廷での高い地位を確立したのは漫画と同じである。そのため、フランス革命が勃発すると国民の怒りの対象となり、1789年にフランスを脱出、スイスに亡命している。
その後、ポリニャック夫人は1793年にオーストリアのウィーンで病没。アントワネットが処刑されてからわずか数カ月後のことである。一説には、フランス革命による恐怖やストレスが健康を害したとも伝えられている。
ちなみに漫画原作ではロザリーが隠し子だったという設定になっているが、実際には隠し子はおらず、多くの子宝に恵まれている。しかもその家系は、いまもモナコ王室まで続いているのだ。
■物語を彩る気高きプリンス、フェルゼンの壮絶な最期とは
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンはスウェーデンの貴族であり、フランス宮廷においてアントワネットと運命的な恋に落ちた人物だ。
『ベルばら』の作中では、知的で容姿端麗な紳士として描かれ、アントワネットを守り愛に生きた純粋な男性として人気を博した。しかし、彼の実際の人生は、物語以上に過酷な運命を辿っている。
フランス革命が勃発すると、フェルゼン(フェンセン)はアントワネットとその家族の亡命計画「ヴァレンヌ事件」に深く関与した。しかしこの計画は失敗し、王妃とルイ16世は捕らえられ、やがて処刑される。愛する人を救えなかったフェルゼンは失意のなかフランスを離れ、祖国スウェーデンへと戻ることとなった。
帰国後のフェルゼンは、スウェーデン王室の外交官として活動を続けたが、次第に民衆の強い反感を買うようになる。1810年6月20日、彼は暴徒化した群衆に襲われ、凄惨な暴行を受けた。
馬車から引きずり下ろされた彼は石を投げつけられ、頭部や胸部を踏みつけられた末に死亡。さらに、彼の遺体は無残にも服を脱がされた状態で排水溝に投げ捨てられたと伝えられている。
『ベルばら』でのフェルゼンは、誰にでも優しく、誠実な理想の貴公子として描かれていた。しかし史実の彼は、貴族としての誇りを持ちながらも、時に民衆に対して高圧的な態度を取っていたとする見方もある。そのため、彼の死は単なる暴動の犠牲というより、民衆の強い恨みを買った結果だったのかもしれない。