
1995年にクエストからスーパーファミコン用ソフトとして発売されたシミュレーションRPG『タクティクスオウガ』。同作は発売時点からかなり評価が高く、プレイステーションなどの次世代機が発売された後も、ゲーム誌の人気ランキングにランクインした。2022年にはリメイク作『タクティクスオウガ リボーン』(スクウェア・エニックス)も発売されるなど、プレイヤーを長く魅了し続けているスーファミ時代の名作だ。
今回は今年10月に発売から30周年を迎える『タクティクスオウガ』の魅力を振り返ってみたい。
■重いテーマと究極の選択が織りなすリアルなドラマ
同作が描くのは、ヴァレリア島で暮らすウォルスタ人、ガルガスタン人、バクラム人の民族間で起こる紛争を背景に、ウォルスタ人の少年デニムが若き英雄として活躍するという物語だ。
それまでのゲームは、世界を征服しようとする悪を倒すという分かりやすいテーマのものが比較的多かった。民族紛争や宗教紛争については、考え方の違いから起こるものであり、どちらが正義で、どちらが悪とは決められない。非常に重いテーマの作品だというのが印象的である。
その重さはシナリオの細部にも表れている。ストーリーの序盤、ウォルスタ解放軍に属するデニムは、バルマムッサの町を陥落させ、そこに捕らわれているウォルスタ人を解放軍に加え、迫害する多数派のガルガスタン人に立ち向かうという役目を担う。
だが、デニムの目論見とは異なり、捕らわれているウォルスタ人は争うことを好まず、武装蜂起には加わらないという。そのことを想定していたウォルスタ解放軍の騎士であり、デニムの上司にあたるレオナールは、デニムに対し、バルマムッサのウォルスタ人を一人残らず殺害するよう指示をするのだ。
レオナールの考えは、ウォルスタ人の虐殺をガルガスタン人の仕業であるという情報を島全体に流すことで、ウォルスタ人の蜂起を促すというものであった。
そして、ここでプレイヤーは選択を迫られる。虐殺に加担するか、しないのかという究極の2択だ。「重すぎる」と戸惑った人がほとんどだったのではないだろうか。事実、この選択次第でストーリーが大幅に変わるのだ。
虐殺に加担すればレオナールの目論見どおり、ガルガスタン人を追い込むことにつながる。その反面、虐殺の真実を触れ回ったデニムの友人ヴァイス率いるゲリラ組織「ネオ・ウォルスタ解放同盟」と戦うことになる。
虐殺に加担しなかった場合は、デニムは反逆者としてウォルスタ解放軍に追われる立場となる。
当時は選択によって展開が180度変わるという衝撃にばかり驚かされたが、大人になった今振り返ってもとんでもなくヘビーだ。
虐殺に加担するという選択は、軍人であれば上司の命令に従うのは絶対であろうし、あの場面で主人公の立場に自分が立っていたとして、虐殺を拒否することがはたしてできるだろうか。
拒否して反逆者として逃げ回るほうが茨の道となるし、加担したとしても判断したのは上層部であり、責任も上層部にあると言い訳ができる。マキャベリズムの考え方から、多数の幸福のためにやむを得ず少数を犠牲にしたのだと自分を納得させて虐殺に加担したかもしれない。実際の戦争でも上層部の指示にやむなく従った人は山ほどいたはずなのだ。胸が苦しくなってしまう選択が、ゲーム上で突然突きつけられてしまう。
このシナリオだけとっても「ゲームはもう子どもだけのものではないのだな」ということを示してくれるような重厚な選択だった。