400人を超える配下武将や「軍師」も登場…ファミコン『信長の野望・戦国群雄伝』歴史好きをトリコにした「劇的進化」の画像
ファミコン『信長の野望・戦国群雄伝』(光栄) (C)1990 KOEI
全ての写真を見る

 1990年2月、光栄(現:コーエーテクモゲームス)からファミコン版『信長の野望・戦国群雄伝』が登場した。今年で35周年を迎える本作は、前作の『信長の野望・全国版』から大幅にパワーアップした人気作品である。

 筆者もそうだが、ファミコン市場に光栄が参入したのが『全国版』からなので、多くのプレイヤーがこれを初代の『信長の野望』と勘違いしていたかもしれない。実際には1983年にパソコン版で初代が発売、2作目が『全国版』、そしてこの『戦国群雄伝』が3作目にあたる。

 前作の『全国版』では、戦国大名を操作し内政や国盗りを繰り広げる内容に衝撃を受けたのだが、『戦国群雄伝』はそれ以上であった。

 そこで今回は、劇的進化を遂げた『戦国群雄伝』を振り返ってみたい。

■シナリオと配下武将が追加! グラフィックもあり臨場感ができた

 まず、『戦国群雄伝』ではゲームモードでシナリオが選べるようになった。これはのちのシリーズではお馴染みのシステムとなるが、前作の『全国版』にはなかったものだ。

 年代が違うと勢力図が変わっているのも面白い。1560年を舞台にしたシナリオ1の「群雄割拠」では、上杉家、武田家、北条家、毛利家といった有力大名のほかに、今川家、斎藤家、浅井家、朝倉家、足利家といった、織田信長を語るうえで外せない大名が軒並み揃っていた。

 対して、1582年スタートのシナリオ2「信長の野望」では、すでに織田家が中央を支配しており史実同様に巨大勢力を誇っていた。口コミで噂されていた隠しイベント「本能寺の変」をなんとか起こしたく、躍起になったものだ。

 そして、もっとも劇的だった変化が配下武将の登場だろう。『全国版』は大名がメインだったが『戦国群雄伝』では配下武将にグラフィックも付いており臨場感があった。

 なかにはイメージと違うグラフィックもあったが、当時のファミコンにおいてこれほど多くのキャラクターが登場するゲームはほかにない。歴史好きな筆者は、約400名ほど登場する配下武将たちを全員調べたいと意欲が湧いたものだ。織田家の配下が強力とはいえ、真田昌幸や山本勘助、竹中半兵衛など、当時は本でしか知らない智将の登場にワクワクした。

 彼ら有能な配下武将たちは戦略に大きく影響を及ぼす存在であった。ただ、寝返りが多かったのも“あるある”で、忠誠度を上げたのに引き抜かれることもしばしばあり苦労した……。

 ちなみに筆者が進めていた織田家も例外ではない。戦闘の要でもある前田利家が引き抜かれてしまい、かなり悔しい思いをしたものだ。犬千代……お前、信長の赤母衣衆じゃなかったのか!

■野戦の時間が長くなり夜襲の効果も抜群、籠城戦にもつれ込ませる戦略も

 本作での戦いには、「野戦」と「籠城戦」がある。ともに30日間逃げ切れば守備側の勝ちとなるが、野戦は朝、昼、夜と3ターンあるので逃げ切りは難しい。ちなみに夜の野戦では部隊に隣接する地形しか表示されない。視界が狭まるため、緊張感が高まったものだった。

 基本的に部隊は移動先で攻撃を仕掛けることができないが、野戦の夜は別だ。視界に入らない部隊の隣接マスまで移動すると、夜襲を仕掛けることが可能となる。

 圧倒的な兵力差でもない限り、夜襲を使ったほうが効果的だった。昼はわざと待機して機動力をためておき、夜になると接近戦で移動攻撃を仕掛ける。この戦法を使い、敵部隊の兵力を削っていくのが鉄則だった。戦国の世である。卑怯とは言わせない。

 そして籠城戦は進路が狭いため、時間がかかりやすい。城門を壊して場内へ進入しないと敵の配置が分からないのも斬新だった。

 初見時だと圧倒的戦力差で勝利するのは難しく、そもそも戦国シミュレーションゲームにあまり慣れていない時代だったため、勝ってもギリギリのことが多かった。それだけに何度も戦を仕掛けて慣れていくうちに戦術がハマるようになると、自分の成長を感じ取れて嬉しかった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3