「好奇心という名の星」に「なまけものの鏡」も…『銀河鉄道999』昭和の漫画で令和を予見『銀河鉄道999』で描かれた「奇抜すぎる世界観の星」の画像
銀河鉄道999 [Blu-ray](東映アニメーション・東映ビデオ)/(C)松本零士・東映アニメーション

 松本零士さんの『銀河鉄道999』は、1977年に連載が始まってから今なお語り継がれる名作だ。主人公の少年・星野鉄郎と、謎の美女・メーテルが乗り込む999号は、銀河を駆け抜け、数々の星で新たな物語を紡いでいく。

 令和になった今でも本作が語り継がれる理由は、なんといっても作者の松本さんのアイデアが素晴らしいからだろう。未知の星で巻き起こるストーリーを見ていると「昭和のあの時代によくこんな話を思いつくものだなあ」と、思わず感心してしまうことも多い。そこで今回は、松本さんの想像力がフルに発揮された“奇抜な星”のエピソードを振り返りたい。

■ 好奇心は人間の進化のはじまり「好奇心という名の星」

 まずは、現代社会にも警鐘を鳴らすような印象のある星から。

 宇宙を走行中の999号は、巨大な目玉のようなものを持つ「好奇心」という惑星に捕まってしまう。星に降りた鉄郎、メーテル、車掌は裸になるよう命じられ、仕方なくメーテルが服を脱ぐ。

 すると、星は次にメーテルの体の中身に興味を持ち、鉄郎、車掌にメーテルを解体するよう脅して苦しめるのだ。そこで鉄郎は落ちたナイフを拾い、思い切って惑星の地面を切り裂く。すると、星の内部には無数の黒い機械が露出した。

 星は「ミナイデ ミナイデ、恥ズカシイ!! ミナイデクレッ!!」と、激しく抵抗。その隙に、3人は999号に乗り込み、星から脱出することに成功した。その後、好奇心の星は自爆して消滅する。自分の中身を見られたことで、恥ずかしさに耐えきれず自らを破壊したのであった。

 この星は、昔住んでいた人々が開発を続けた結果、星全体を機械化して大人工生命体になったものだという。「好奇心」という感情が、いつしか人間への興味や執着となり、彼らを観察したいという強い願望に変わったのだ。自分の内面を見られたことで、星は初めて他人から見られるつらさを理解したのだろう。

 この物語は、ナレーションで“『好奇心』は進化のはじまりだと言われるが、では進化の終わりとは何なのか?”と、問いかけている。

 インターネットが普及した現在、個人がさまざまな情報を世界に発信できるようになった。好奇心を満たすため、他人の個人的な部分をのぞき見てしまうこともあるかもしれない。しかし、もし自分が逆の立場になり、他人には見られたくない部分を見られたら、この星のように消えてなくなりたいと思うのではないか。松本さんの奇抜なアイデアは、こうした現代の問題についても考えさせてくれるのである。

■まさに未来を予見していたかのような驚きの星「なまけものの鏡」

 『銀河鉄道999』は今から40年以上も前に描かれた作品だが、未来を予見しているようなエピソードもある。それが「なまけものの鏡」だ。

 地球が繁栄していたころの面影がある「なまけものの星」に到着した999号。そこはすべてが機械化された快適な星であった。鉄郎はひとり自動運転の車に乗って街に出たものの、どこへ行っても人の気配がない。

 「人の姿が見たい」と鉄郎は思い、住宅街の一軒の家を訪ねてドアをあけると、ブヨブヨの何かに弾き飛ばされてしまう。それはなんと、人間の“ヒザ”であった。なんとこの星に住む人間はみな“なまけもの”になっており、少し動いただけで家が破壊されるほど体が肥満化してしまっていたのである。

 現実の社会でも、海外で体重が何百キロにもなってしまい、家から出られなくなったというエピソードがある。

 この星を訪れた鉄郎はその後、“心の中の「なまけもの」だけがふくらんで あの建物の中いっぱいにつまっているような気がする この星はぼくの心の中のなまけものを映す鏡だったのかなあ”という感想を呟いている。

 スマホをはじめ、なにもかも機械に頼る生活になりつつある現在。便利な世の中になったせいで、人間が動かずにすむことも多くなっている。その結果、この「なまけものの鏡」のエピソードのように、世界中が肥満化してしまう未来も十分にありうる。本作は、そんな私たちに警鐘を鳴らしてくれるエピソードともいえるだろう。

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