過去ヒット作の常識を次々と「排除」…昭和発の刑事ドラマ『あぶない刑事』が「令和まで残る人気作」となった理由の画像
映画『あぶない刑事』Blu-ray (C)東映・日本テレビ

 舘ひろし・柴田恭兵主演の『あぶない刑事』シリーズは、断続的ながら40年近く続くロングランヒット作である。テレビドラマ『あぶない刑事』(日本テレビ系:1986~1987年)をスタート地点とし、これまでにシーズン2といえる『もっとあぶない刑事』(1988~1989年)、スペシャルドラマ『あぶない刑事フォーエヴァー TVスペシャル'98』(1998年)、7本の映画が制作されてきた。

 そして、2024年5月24日からは新作映画『帰ってきた あぶない刑事』が公開される。昭和発の実写作品で、キャストを変えずにこれほど長く続いているコンテンツはほかにない。
 このシリーズの成功要因はいくつか考えられる。そのひとつに、過去の刑事ドラマ、アクションドラマの影響を受けながらも、それらとは異なる世界を構築したことがある。 『あぶない刑事』はどこが斬新だったのか? 既存の作品と何が違ったのか? 4つの観点で考察したい。

「殉職ブーム」しり目に…刑事が死なない

 刑事ドラマにおいて、殉職がイベント化するきっかけを作ったのは萩原健一だ。

『太陽にほえろ!』(日本テレビ系:1972~1986年)で、若手刑事マカロニを演じていた萩原は、劇中で死ぬ形での降板を希望する、慰留されるが本人の意志は固く、第52話「13日金曜日マカロニ死す」でマカロニは死ぬ。道端で立ち小便をしたあとに、通り魔に刺されてあっけなく絶命するのだ。職務中ではなかったので厳密には“殉職”ではないが、これが刑事ドラマにおける「殉職ブーム」のスタートとなった。

 以後、ジーパン(松田優作)、テキサス(勝野洋)、ボン(宮内淳)、ロッキー(木之元亮)など、七曲署の若手刑事は次々に殉職していった。やがて、ゴリさん(竜雷太)、山さん(露口茂)らベテラン刑事も殉職。約14年間で、のべ11名の刑事が他界した。

 殉職のイベント化が進んだのは、殉職回は視聴率がよかったことが最大の理由だろう。その結果、前後して他の刑事ドラマもマネをするようになる。中には殉職を乱発する番組もあった。成田空港内に設けられた「空港特捜部」が舞台のドラマ『大空港』(フジテレビ系:1978~1980年)は、わずか1年半の間に実に6名(緒形拳、中村雅俊、永島敏行、片平なぎさ、岡本富士太、黒沢年雄)を殉職させた。明らかにやりすぎだった。

 また、菅原文太の民放連続テレビドラマ初主演作となった『警視庁殺人課』(テレビ朝日系:1981年)は最終回を前後編に分け、その2回で殺人課のレギュラー刑事全員が死んだ。タイトルは「警視庁殺人課 全員殉職!」。こちらもやりすぎだ。

 舘ひろしが出ていた『西部警察』シリーズ(テレビ朝日系:1979~1984年)も殉職をイベント化し、最終回では主役の大門(渡哲也)が命を落とした。

 しかし、『あぶない刑事』はそこに手を出さなかった。銃殺された刑事を仲間たちが嗚咽しながら取り囲む、その翌日にデスクの上に花が置いてある、そうした展開は皆無。映画では「え、タカとユージは死んだの?」と思わせるエンディングもあったが、「いやいや、生きているでしょ」と思わせる空気を残した。そして、2人は次作でケロッと再登場した。捜査課の吉田(秋山武史)、少年課の鈴江(御木裕)、警ら課の武田(堀内孝人)らはシリーズ途中で姿を消したが殉職での退場ではない。『あぶない刑事』は死者を出さないことで、作品全体から「泥臭い悲壮感」を排除したのである。

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