「血も涙もない」とは人間らしさがない、冷酷である事を示す慣用句だ。今回紹介するのは「血も涙もない」はずの「ロボット」がまるで泣いているように見えるアニメ・漫画での演出をまとめたものだ。その目から流れるものはオイルや雨なのだが、機体から何か感情が漏れ出ているように見えるのである。
■クライマックスの神演出『機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-』
まずは1998年公開『機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-』。SFラブコメの傑作テレビアニメ『機動戦艦ナデシコ』の続編である。コメディ色がかなり強く出ていたテレビシリーズに比べるとシリアスな雰囲気が印象的な作品だ。余談だが当時無名に近かった仲間由紀恵さんが声優として出演していることでも知られている。
テレビシリーズでハッピーエンドを迎えたかに見えた主人公のテンカワ・アキトとヒロインのミスマル・ユリカだったが、2人はA級ジャンパー(機械があればワープできる超能力者)であることから「火星の後継者」を名乗る団体に拉致されてしまい、アキトは救出されたがユリカは「火星の後継者」に利用され続けてしまう。アキトはその復讐に向かう。
クライマックスでアキトは愛機に乗り、「火星の後継者」の実行部隊隊長「北辰」と一騎打ちになる。このシーンはロボットアニメの演出ではなく、時代劇のラストシーンのようなものになっている。そして剣豪さながら、2機が近づき合い、ぶつかり合う刹那、紙一重で北辰を倒したエステバリスの目からオイルが涙の様に流れるのだ。
これが悲しみの涙のようにも、歓喜の涙のようにも、復讐を果たしても満たされない虚しさの涙のようにも見える。アキトの表情は見えない。まるで彼の代わりに愛機が感情を出しているような名演出である。
同時期に『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象を起こしたことで、本作は影に隠れがちではあるが、全体のクオリティが非常に高く、90年代を代表するロボットアニメのひとつだ。
■アツイ展開と涙『天元突破グレンラガン』
続いては2007年放送開始『天元突破グレンラガン』から第8話「あばよ、ダチ公」でのワンシーンだ。
非常にアツイ展開が特徴の作品で、今回紹介するのはその熱量が最高潮に達し、最後には視聴者に悲しみを与えたエピソードだ。主人公シモンの良き兄貴分であった準主人公のカミナが激闘の末に死亡するのである。
その激闘の前にドラマがある。ヒロインのヨーコは激闘の前夜にカミナとキスをして死亡フラグを立てる。ヨーコに憧れるシモンはそれを見てしまい、戦闘に集中できない。それを見たカミナはシモンに気合を入れる。恋人となったヨーコもアニキと呼び慕うシモンも大グレン団の団員もみんなカミナの事が大好きだったのである。
だからカミナが死んだ後はみんな泣く。そして雨が降り、それが滴り落ちることでグレンラガンの目にも涙が流れているように見える。涙なしでは見られない名シーンだ。
『天元突破グレンラガン』はパロディが多いアニメでもあり、カミナが死ぬシーンは明らかに『あしたのジョー』を意識した演出がされている。ではグレンラガンが涙を流すのは何かのパロディなのか? という疑問が浮かぶ。序盤は70年代から始まり、80年代、90年代と徐々に絵のタッチが変わってくることを考えると、次に紹介する『ザ・ムーン』ではないかと筆者は考えている。