■「笑いの時代は終わりました…」読者に衝撃を与えた問題作『ヒミズ』

 それまではヘビーなテーマにギャグを交えていたが、2001年から始まった『ヒミズ』から古谷氏は「笑いの時代は終わりました…これより、不道徳の時間を始めます」という言葉とともにギャグを捨て、シリアスなサスペンス路線へと転向する。

 作中では「普通に生きたい」と願う主人公・住田が殺人をきっかけに悲劇の連続に見舞われ、どんどんと普通とは正反対の地獄に落ちていく。最後まで閉塞感が残るうえにまともな登場人物もほとんどおらず、壊れていく住田の心理描写のリアルさも相まって救いのない重苦しさが残る。

 ファンたちからは「作者どうした?!」という驚きの声も多くあがっていたが、同作に感銘を受けたという人も多い。『パラサイトー半地下の家族ー』のポン・ジュノ監督もその一人だ。

 ポン・ジュノ監督は2014年放送のラジオ「荻上チキSession-22」で、古谷氏を「変態系を書かせたらトップ」と大絶賛。特に『ヒミズ』については、「日本社会の断面や、生きづらさを感じる若者たちの青春の痛みや悲しみがよく描かれている」と語っていた。

『ヒミズ』の後も、『シガテラ』『わにとかげぎす』といったヒューマンホラー作品が続いている。

■映画も最高!胸が痛くなるサイコホラー『ヒメアノ〜ル』

 最後は、2008年から連載が始まった、読者の神経を擦り減らすサイコホラー『ヒメアノ~ル』を振り返りたい。元気がないときに読むと心を持っていかれそうな重く苦しい漫画だが、身近なところに潜む闇が表現された名作だ。

「人生に意味を見いだせずにいる平凡な主人公に美女の彼女ができるが、同時に脅威が忍び寄る」という設定は、古谷氏の十八番かもしれない。同作では、主人公たちのフワフワしたラブコメともう一人の主人公・森田正一の心の闇や惨忍性が並行しながら描かれ、次第に惨劇へと繋がっていく。

 殺人鬼が登場する漫画は多々あるが、古谷氏は彼らの人間味や心理描写にフォーカスする。本作では、学生時代に自分の異常性に気づいた森田の“普通になりたいのになれない苦しみ”や“人とは違う普通の定義に対する葛藤”が繊細に描かれ、読者に森田の心情を嫌というほど伝えてくる。

 森田のした残虐な行為は絶対に許されることではないが、古谷氏の作品は「普通」とは何かを考えさせられるものが多い。ちなみに、映画版は森田役を演じた森田剛さんの怪演が素晴らしい。未視聴の方はぜひチェックしてみてほしい。


 古谷氏は2012年の『サルチネス』連載以降、主だった漫画制作を行っていない。いつかまた、新たな古谷実ワールドを見せてほしいと思う。

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