古谷実氏といえば、『週刊ヤングマガジン』連載のデビュー作『行け!稲中卓球部』がもっとも有名な作品だ。多くの読者を笑いの渦に巻き込んだ同作品は、大袈裟かもしれないがくだらなさのすべてを高度な笑いに昇華した完璧とも言えるギャグ漫画であったと思う。
『稲中』以降は笑いの中にシリアスなテーマが入り混じるようになり、4作目の『ヒミズ』からは、完全にシリアス路線に転向。歪んでいく人の心や世の不条理を暗闇の中から覗き込むような、ダークな作品を描くようになった。
ギャグとシリアス、作風は真逆ではあるが、古谷氏の作品はどれも人間のネガティブ面に対する着眼点、それへの切り込み方が秀逸だ。ゆえに、ギャグもシリアスも読者の心に強く残る。今回は、そんな奇才・古谷実氏の魅力をいくつかの作品とともに振り返ってみようと思う。
■古谷実の名を世に知らしめた『行け!稲中卓球部』
1993年に連載が始まった『行け!稲中卓球部』は、古谷氏のハイレベルなギャグセンスがこれでもかというほどに詰め込まれた名作である。
同作は、究極のくだらなさ&直球の下ネタという、見る人を選ぶ要素しかないにも関わらず、中学生男子らしい突き抜けたおバカ具合が絶妙。一般人なら躊躇して言えないことやできないことを当たり前のように行動に移していく前野たちに痛快さすらも感じ、読めば読むほど笑いが止まらなくなる読者が続出した。
稲中の魅力の一つは、あらゆる場面においてのワードセンスの高さと、モブを含め登場人物のキャラが立っている点にもある。際どいキャラも多く、たった数話に登場した脇役でさえも30年以上記憶に残るほどの破壊力を持っていた。
■重いテーマを笑いに交えた『僕といっしょ』
1997年から連載が開始された『僕といっしょ』は、中学生・先坂すぐ夫と小学生の弟・先坂いく夫の東京での居候生活を描く物語。『稲中』に続くギャグ要素の中に、刺激的なテーマが配合された作品である。もちろん、ギャグシーンがメインなので大笑いもできるだろう。
しかし、第1話で描かれるのは、亡くなった母の再婚相手である義父から「お前らが死ねばよかったのによ」と言われ主人公兄弟が家出をするという旅立ちの場面で、その後出会う14歳の少年・イトキンはシンナー中毒で天涯孤独だったりと、中学生の主人公たちの背景はあまりにもヘビー。さらに、作品全体を通して「人生とはなにか」「社会的弱者の立場」といった考えさせられる部分が多いことで、全体的にどことなく物悲しい雰囲気が漂う漫画だった。
悲劇と喜劇は紙一重とはよく言うが、古谷氏が描く漫画はそこを描くのがとても上手い。イトキンらのその後の人生を読者に委ねるようなラストもそうだが、重すぎる内容を喜劇に昇華していくスキルの高さは天下一品といえるのではないだろうか。
■面倒くさいは人生最大の敵!若者たちの閉塞感をギャグの中に表現した『グリーンヒル』
1999年から連載がスタートした第3作『グリーンヒル』は、社会に適合できない大人、大人と子どもの狭間でくすぶる若者が、「面倒くさい出来事」と向き合ったり逃げたりしながら今を生きていく物語だ。
『僕といっしょ』と同様、笑いとやるせなさのブレンド量が絶妙だが、エロネタやシュールなギャグもふんだんに盛り込まれており、『稲中』のような突き詰めた笑いを求める読者にも読みやすくなっている。
同作はネガティブな側面に光を当てているわけでも突飛した変態が出てくる(リーダーと伊藤茂を除く)わけでもない。しかし、みんな少しづつダメなところがあり、読んでいると緩い倦怠感のような感情に覆われる作品ではないかと思う。
古谷氏の描くダメ人間は人情味があり、我々にも「あ、その感情わかる」と共感できる場面が多い。ゆえに心を揺さぶられるのかもしれない。