かつてファミコンのサードパーティーとして、数々の名作ゲームを展開していた「ジャレコ」をご存じだろうか。アーケードからの移植作品や『燃えろ!!プロ野球』など、多くのヒット作品を生み出したゲーム開発会社だ。
1974年に「株式会社ジャパンレジャー」として創業、1983年に「ジャレコ」に名称変更されてから今年で40年。すでに倒産してしまっているが、筆者世代は「ジャレコといえば……」と、懐かしのゲームの話で同級生と盛り上がったりもする。
さて、そんなジャレコが誇る至高の名作ファミコンゲームを振り返ってみよう。
■主人公の少女は危険極まりない人物!? 初期名作『シティコネクション』
まずは、アーケードで大人気だった『シティコネクション』だ。1985年9月にファミコンに移植され、筆者たち小学生のあいだでも人気だった。
車を動かすのだがレースゲームではなく、横スクロールのアクションゲームとなっている。カリフォルニア生まれの主人公の少女・クラリスが愛車のクラリスカーに乗り、世界中のハイウェイを駆け抜ける。
パトカーにオイル缶を投げつけて体当たりし、自由な方向転換とジャンプで華麗に敵キャラを避けることが可能だ。アメリカや日本をはじめ、世界6カ国の制覇を目指していく。
スピード感はないのだが操作性はなかなか快適で、当時かなり熱中したゲームだった。アメリカは自由の女神、フランスは凱旋門にエッフェル塔、日本は五重の塔や富士山など、世界の名所を背景にしているのも新鮮だった。
ただ、このゲームは設定を知ってしまったら驚くこと間違いない。当時はあまり気にもしなかったのだが、今、考えるとなにかおかしい。要は、クラリスはスピード狂少女で、なにも悪くないパトカーを“しつこいやつら”とやっつけていくのだ。
そしてなぜかハイウェイ上に、チェッカーフラッグを持ったオジャマ猫もいた。コイツはオイル缶の攻撃が効かないので避けるしかない。接触してもクラリスカーが負けてしまうのだから、かなり硬いロボットの猫なのだろうか……。
それにしても風船で外国に飛んで行ったり、スピード違反に不法入国など、クラリスは危険極まりない人物として国際手配されてもおかしくない設定のキャラだったな。
■スピンオフながら正当な本家となった名作『忍者じゃじゃ丸くん』
次は、1985年11月に発売された『忍者じゃじゃ丸くん』だ。
『忍者くん 魔城の冒険』(1984年)のスピンオフ作品で、なまず太夫にさらわれたさくら姫を救出するため、修行の旅で留守の忍者くんに代わり、弟のじゃじゃ丸くんが大活躍するアクションゲームだ。
ジャンプと手裏剣で敵を倒していく爽快感のあるゲームで、アーケードの『忍者くん 魔城の冒険』が人気を博していたこともあり、筆者の友人たちもみんな持っていたほど流行っていた。当時大流行していた『スーパーマリオブラザーズ』に匹敵するほどだったと思う。
クラスメイトのなかには「じゃじゃ丸のほうがスーマリより面白い」と豪語していた者もいた。まあ、今となれば、どちらも面白いのでいいじゃんって思ってしまうのだが……。
さて、じゃじゃ丸くんは頭突きで天井のブロックを壊すとアイテムを手に入れられる。武器を3つ集めるか、小丸くん(プレイヤー残機数)を4つ揃えるかすれば、忍法「ガマパックン」が使用可能となる。無双状態となり、巨大カエルに乗って行動不能となった敵キャラを食べ尽くすことができた。
ステージも後半になると敵キャラもどんどん増えていくし、なまず太夫がこれでもかというくらい爆弾を落としてくるのがウザかったものだ。
ちなみに本作は累計100万本を売り上げている。気づけば忍者くんよりも人気となり、じゃじゃ丸くんが本家といわれるようになっていたな。