ナムコのファミコンソフト『三国志 中原の覇者』が革新的だったワケ…光栄の先を行っていた“要素”とは?の画像
ファミコンソフト『三国志 中原の覇者』(ナムコ)

 平成以降の日本で、多くの三国志ファンを開拓してきたのは「ゲーム」といっても過言ではない。光栄(現:コーエーテクモゲームス)の代表作でもある『三國志』や『真・三國無双』のシリーズは、非常に多くのファンを虜にしたものだ。

 しかし実は、光栄に先駆けてファミコンで三国志ゲームを登場させたのはナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)だった。1988年に発売された『三国志 中原の覇者』が革新的だったと言われるそのワケを見てみよう。

■6人の君主で悩むことなくプレイ可能で武将が成長する

『三国志 中原の覇者』は、まず君主を6人の中から選択するところから始まる。しかし、なんと自分で決められない。なぜだ!? と当時は思ったものだが、ゲーム前に行われる「英雄タイプ別性格診断」で決まるため、あらかじめ予測すれば任意の君主を選択することが可能だ。ランダムでもないので、慣れれば悩むこともなかった。

 ちなみに選択できる君主は劉備、曹操、孫権、袁紹、馬騰、劉璋だ(ゲーム内はカタカナ表記)。ゲーム開始時期が西暦200年ということもあり、すでに死去していた董卓や呂布、袁術といった名物君主が登場しないのが少し残念だったな。

 また、西暦200年といえば、“官渡の戦い”を経て劉備が荊州を統治する劉表のもとへ身を寄せる時期を迎えるのだが、肝心の劉表は登場しない。容量の関係なのか仕方ない面もあるのだが、馬騰を入れるくらいなら劉表だろうと思ってしまったのは筆者だけだろうか……。

 話を戻すが、このゲームは武将が成長するシステムとなっていた。武力は武器を買い与え、知力は学問所で上げることができるのだ。当時は武将のパラメータが決まっていた光栄版『三國志』にはないシステムで、画期的だったといえるだろう。

■“命令書”の導入で君主ごとにコマンド実行回数が異なる

 本作では毎月のコマンド実行回数が、おもに“命令書”で決められており、支配している国の数によって異なる。自国の領地が多いほど、命令できる回数も多いのだ。今では当たり前となっているシステムだが、当初はまだ光栄でも取り入れていなかった。

 最初のころは命令回数が少ないので思うように進まずイライラしたものだが、ある程度武将が揃うとその人数分だけ命令することになるので、それはそれで逆に面倒になったりもした。最初は「命令書ってなんぞや?」と疑問に思ったが、慣れてくるほど命令するのにも慎重になってしまったものだった。

 今ではシミュレーションゲームをプレイするときに何の違和感も持たないが、これを当時から実践するところが素晴らしいといえるだろう。

 また、コマンドを実行するとアニメーションがあるのもよかったな。今考えると、子どもたちが入りやすいように設定しているのがよく分かる。

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