『一休さん』に『ゲゲゲの鬼太郎』にも…昭和の子どもたちにトラウマを与えた名作アニメの「問題回」の画像
『一休さん』母上さまシリーズ第1巻 [DVD](ビクターエンタテインメント)

 子ども向けの痛快で楽しいアニメ番組だと思っていたら、急に鬱エピソードが……。アニメを見ていると、ときどきそんなことが起こる。大人になった今ならまだしも、子ども時代は「なんかよく分からないけどタダゴトではないぞ……!?」と、理解の範疇を超えた薄気味悪さがトラウマになることも……。今回は、昭和の名作アニメ『一休さん』と『ゲゲゲの鬼太郎』から、子どもに底知れぬ恐怖を与えたトラウマ回を紹介する。

■『一休さん』正月早々ドクロを持って都を練り歩き号泣…石を投げつけられる一休さん

『一休さん』のウリは、小坊主の一休さんが「とんち」を使って無理難題を乗り越えるところだ。しかし、第9話「めでたくもあり めでたくもなし」は、いつもと少々様子が違った。

 元旦に和尚さんと一緒に、桔梗屋さんの家にお呼ばれした一休さん。楽しく過ごしたその帰り道、戦で家を失った大勢の農民たちが侍から追い立てられているところを目撃する。

 家がなくなった彼らを安国寺に入れたのはいいが、寺も貧しく食料が足りない。食べ物を分けてほしいと金持ちに頼んでみても、取り合ってもらえず……そこで一休さんは例のごとくとんちを使い、大量のおにぎりを得ることに成功した。めでたし、めでたし!と思いきや……。

 寺に帰ると、農民たちの大半がいなくなっている。実は一休さんが出て行ったあとに侍がやってきて、戦を手伝えば飯を食わせてやると連れて行ったのだ。戦のせいで苦しんだ彼らが、食べるために戦に協力しなくてはならない……そして、それを止めることができなかった自身の無力さを嘆き、泣き崩れる一休さん。

 ここで突然画面が暗転し、「元旦は 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 一休」という歌が映し出される。“新しい年を迎えるたびに死に一歩近づいているのに、元旦の何かめでたいものか”という意味だ。

 画面は変わり、再び楽しそうな正月の様子が描かれるが、そこにドクロをかかげた一休さんが……。賑やかムードをぶち壊すように「ご用心なさい!」と叫びながら町を練り歩く姿に、人々は「とんち小僧がおかしいぞ!」「正月早々縁起でもない!」と言って、石を投げつける。それでも叫ぶのをやめず、号泣する一休さん。その泣き顔に先ほどの歌が重ねて映し出され、この回は終了となる。

■実際に存在した一休宗純の逸話が元ネタだった

 なんとも気が滅入る話だが、これは一休宗純という人物の逸話から来ている。一休さんのモデルであり、室町時代に実在した臨済宗の僧侶だ。

 当時は数え年だったので、誕生日ではなく元日にみんな一斉に歳をとったという。一休はそんな日に敢えてドクロをかかげて「ご用心、ご用心」と言って回り、人の世の無常を説くことで、命の儚さに気づくこと、今このときを大事に生きることを人々に伝えたのだった。

 ちなみに、アニメのなかに登場した短歌はこの一休宗純が詠んだ歌「門松や 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」がもととなっている。

 とはいえ、アニメの一休さんはまだ小学校低学年ほどの年齢で、視聴者の子どもにとっては、自分と近い存在だ。そんな子どもがドクロを片手に死をちらつかせながら号泣し、大人たちに石を投げつけられるのだから、なかなかのトラウマ回ではなかろうか。

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