光栄の歴史シミュレーション『三國志』を振り返る…不便だったけど画期的すぎたシステムとはの画像
ファミコン版『三國志』パッケージ

 歴史ゲームといえば、なにを思い浮かべるだろうか。『三國無双』などをはじめとする『無双シリーズ』のようなアクションゲームもあるが、やはり王道歴史ゲームといえばシミュレーションゲームだろう。そして、光栄(現コーエーテクモゲームス)が手掛けた『三國志』と『信長の野望』は、昭和の時代に製作されながらも、ともにベストセラーとなり、令和の現代でもシリーズがなお続いている。

 そこで今回は、名作『三國志』(初代)を取り上げたい。当時としては画期的だった、この不朽の名作を振り返ってみよう。

■1985年12月10日に発売された初代『三國志』! 価格は高いが画期的だったシステム

 初代『三國志』はパソコンゲームとして1985年の12月10日に発売された。

 筆者の自宅にはなぜかPC-8801があった(父はパソコンなど使わないのに……)ので、歴史好きだった小学生の筆者は、お年玉やお小遣いを貯めて頑張って購入しようとしたものだ。

 だが、光栄のゲームソフト(フロッピー)は、1万4800円ととにかく高かった。大人でないと買えないゲームなのかと疑ってしまったくらいだ。しかも、この時代はファミコンソフトが一気に売れ出していたので、パソコンゲームをどこで買ったらいいのかも分からない……。

 そこで、近所にあった地元の電器屋(チェーン店)で相談してみたら、見事取り寄せてもらえることになった。しかもそこの店員さんがすでに『三國志』を所持しており、お店に来たらなんとゲームをプレイさせてくれるという。そんなわけで、ゲームが届くまで電器屋のパソコンで遊ばせてもらったものだ。タイトル『三國志』が、右から左の縦書きにならって『志國三』となっているのがカッコよく、ワクワクしたことを覚えている。

『三國志』は、なんといってもシステムが画期的だった。まず、開始シナリオが選べる。この発想を実現するのは素晴らしいと思う。年代ごとに君主が選べ、それぞれの国で内政や計略ができるのだ。

 さらに武将たちの“個性”とも言える「能力値」が画期的だった。漫画で三國志を好きになった筆者にとって、顔のグラフィックとあわせて武将の能力値を見られることに心が躍った。

■ファミコンでも登場して『三國志』の人気獲得に大貢献

『三國志』がヒットした要因の一つに、魅力的な武将を再現したことが挙げられると思う。日本の三國志は“演義”が人気であり、軍神のような武力と神がかり的な知略で蜀の劉備陣営が無敵の強さを誇っていた。

 これをゲームでも再現していたため、関羽・張飛・趙雲・諸葛亮といった面々を自分で操作できることになんとも言えない感動を覚えた。諸葛亮などの知力の高い武将で、“火計”の嵐をお見舞いしたものだ。

 その後、自宅のパソコンが壊れてしまい、1988年に発売されたファミコン版も購入した。しかしこれもまた高く、9800円と異例の価格設定だった。

 ただ、これまでコアなファン層しかいなかった『三國志』がファミコンに移植されたことで、一気に幅広く世間にも注目されることとなった。なにより価格がひと際高いので、ゲームショップでも目立っている。

 とはいえ、不便なこともあった。ひらがなが多くて読みづらいのもあるし、マップ上が数字になっているので誰が支配しているのか分からない。戦争するにも攻め込む国をマップ表示してくれないので数字を選択するしかなく、複数勢力と隣り合っている場合、間違えてしまうと大変だ。

 戦闘に関しても、進んだ先のヘックスで攻撃できないので、自分が近づいたのに先制攻撃は相手になってしまう(後継シリーズで改善)。呂布は頼んでもいないのに敵を裏切って味方となってくれたものの、喜んで次の戦場へ連れていったら今度は裏切られたりもした(なんでやねん)。

 それでも人気が出たのは、これまでのゲームにはない要素があったからだろう。戦闘で攻め込まれたとしても、少ない兵士で兵糧庫を奪ったりすることも可能だった。

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