1983年に登場して以来、日本中の子どもたちを虜にしたのが『ファミリーコンピューター』(任天堂)、いわゆる『ファミコン』だ。日本の経済を支えたといっても、過言ではないだろう。
そんなファミコンで遊んでいた当時の子供たちは、実社会における“リアル”をファミコンに教えてもらったものだ。そこで、懐かしいあの時期、ファミコンに教わったリアルを紹介していこう。
■貸し借り時に学んだ交渉術&トラブル回避のための記名対策
ファミコンが世間に認知されるようになるころ、膨大なゲームソフトがゲームショップやおもちゃ屋で販売されていた。
YouTubeなどもないあの時代、自分の持っていないソフトの知識を得るのは困難であり、ソフトを購入しないとゲームの中身が分からない。そこで当時の子どもたちは誰に教わったわけでもないのに、ゲームソフトの交換を友人同士で行っていたものだ。
ゲームソフトが1対1のときもあれば、2本同士で交換することもある。
筆者の場合、ドラクエなど長期で遊べる作品を貸すときは、1本に対して相手に2本を求めたものだ。遊ぶ期間で対価を求めるという“交渉術”を、自然と学んだ記憶がある。
ただ、この貸し借りは当時さまざまなトラブルに発展していた。
まず、ソフトが返ってこないことがある。当時の小学生は人数も多く、クラス替えになると新たな友人ができるため、貸し借りしていた相手と疎遠になってしまうことも多々あったのだ。「誰に何を貸したっけ?」と分からなくなることもあったし、貸し借りが多すぎて誰に借りたかも分からなくなってしまうことも。しかし、相手が覚えていたら「アイツはゲームを返さない」と陰口が広まってしまう。いや、お前もだろう。
そこで多くの子どもたちは、カセットに自分の名前をマジックで書いていた。なるほど、こうすることで相手にも借りたことが目に付く。しかし、この対策は諸刃の剣で、返してもらったソフトをゲームショップに売りに行っても買い取ってもらえないことがほとんどだった。
当時、グレーゾーンだった中古買取もお店の意向が強かった。筆者も人気のソフトを売りに行ったら「名前があるから買い取れないね。100円でもいい?」と言われた経験がある。
“マジックは消えないもの”と信じていた筆者にとって、「買取不可」から「100円」にアップしてもらえただけで、売ってしまおうかどうか真剣に悩んだものだ。
いいのか?100円だぞ、少年!……当時を思い出すと少し切なくなる。