■『G-レコ』は僕が死ぬまでは保つ

『G-レコ』では、TVシリーズで描かれていた、冒頭のチアリーディングの躍動感に満ちたダンスや、モビルスーツのパイロットたちの生理(コックピットに長くいるため便意を覚える、汗をかいたのでパイロットスーツを着替える)という「身体性」を劇場版でも見事に織り込んでいる。

 

「その理解はありがたいです。『ガンダム好き』な人たちというのは、作品をそういうふうに見るということをあまり知りません。『ガンダム』のまんまで『G-レコ』を見ようとするとそれはわからないよ、と思うんです。
 ガンダムシリーズは戦記ものとして作られた作品ですから、どうしてもカッコよさや戦闘シーンを見てしまう。『G-レコ』のTVシリーズは、『ガンダム』という言葉をタイトルに入れてしまったことで、わかりにくくなってしまったんです(TVシリーズでは『ガンダム Gのレコンギスタ』というタイトルで放送されていた)。営業サイドとしては『ガンダム』と入れたかったんだろうけど、誤解を誘導するような作り方をせざるを得なかったことは、申し訳なく思います」

 監督が劇場版の『G-レコ』を生み出すときに度々口にするのは、「脱ガンダム」という言葉だ。

 

「いわゆるガンダム世代と呼ばれている人たちは40代や50代です。実はその世代に『G-レコ』は受けていません。ありがたいのは、20代の人たちが『G-レコ』を見てくださっていること。そういう人たちが見てくださることで『G-レコ』は僕が死ぬまでは保つ作品になるだろうと思います。僕がこれからの先を考えると、20代から中高生に期待をせざるをえない。彼らに命題を提示するために『G-レコ』を作ったという言い方が一番正しいと思います。
 ただ、これは実を言うと、『機動戦士ガンダム』を作ったときと同じことをやっている。それは戦争を忘れた世代に『ガンダム』という戦記物を通じて、戦争というものを伝えたいという口はばったい思いもあったんです。当時(70年代)はまだ戦後の空気が残っていたので、それが伝わるだろうと思ってやっていました。そこはリアルなものを捉えようとした作品だったということです。逆に言えば、ものを作るという点で、そういう視座が必要だったんです」

(聞き手/志田英邦)

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