■角を折ることで、新旧世代の交代劇が生まれる
角は、言うまでもなく動物の頭部に生えている攻撃のための部位ですが、基本的には草食動物に多く見られるもので、あくまで防御のための武器です。
肉食動物の爪や牙と違って、誰かを仕留めて食べるためではありません。
普段は温厚で鈍重ですが、ひとたび危害を加えられれば、「猛牛」となって、反撃に転じ、攻撃者や捕食者から自分と群れを守るために角を突き立てます。
角が強く立派であればあるほど、リーダーにふさわしく、それが「権威」にもつながります。群れを統率し、一族の中で威厳、言い換えれば「父権」を表すものであります。
梶原一騎は『空手バカ一代』で、主人公の「超人追求」のための行為、通過儀礼として主人公の大山倍達が牛と戦い、その角をへし折るシーンを実話として描きました。折られた牛はたまったものではありませんが、以後大山は「牛殺し」の異名で呼ばれることになり、以後世界の格闘家と拳を交える戦いの旅が始まることになります。(熊との対決も志しましたが、それは失敗に終わっています)。
星矢もまた、格上というよりも、格が違いすぎる黄金聖闘士であるアルデバランの、黄金聖衣の「角」を、決死の攻撃で叩き折ります。
アルデバランは大笑いして星矢を認め、金牛宮を通して先に行かせます。星矢はこの戦いを経て、さらなる成長していきます。
2つある角のうちの一本を折ったことは、「権威」や「父権」の象徴、あるいはリーダーのメンツを半分失わせてしまうことに他なりません。
先述のバッファローマンもまた、ウォーズマンに角を一本折られてしまいますが、それにより彼が持つ威厳や圧力が減少したと感じた読者もいるのではないでしょうか。
さて、もし星矢が角を2本とも折っていたらどうなったでしょう?
現象的には、たかだかヘルメットの突起が2つ減っただけかもしれません。しかし、見る者にとっては、角の持つ「威厳」は根こそぎ奪われてしまい、みじめで、どうにも目の当てられない様子になっていたかもしれません。
角を半分折るというのは、若者の勢いと、それに夢を託す旧世代の世代交代劇を表すに、具合のよい表現なのだといえるでしょう。