■郷土史レベルの大名に光を当てる
また、50ヶ国モードはそれまで郷土史レベルだった地方の大名に光を当てる役割を果たした。
たとえば、筑肥の竜造寺隆信。「九州の大名」というと島津が有名だが、このゲームでは竜造寺の支配する筑肥の国力がかなり高い。史実でも竜造寺は大友・島津に対抗できる一大勢力としてその名を轟かせていた。1570年の今山の合戦では大友の大軍に一時追い込まれたものの、少数精鋭の奇襲で何と大友宗麟の弟・大友親貞の首をはねている。
こうした「地方の強豪」は、インターネットなどない当時は地元の郷土資料館へ行かなければその全容が分からないような人物だった。『信長の野望・全国版』で初めて竜造寺隆信なる大名を知った、という人も少なくなかったはずだ。
■大名は「老人から少年まで」
そうした功績もある『信長の野望・全国版』だが、現代の感覚から見ると拭え切れない欠点もあった。
まず、『全国版』では「配下の武将」という概念がない。同時に「大名の後継者」という概念も、ある例外を除いて存在しない(例外については後述)。そのため、プレイヤーにとっての最大の敵は「大名の年齢」と言われていた。
『信長の野望・全国版』は1560年から開始される。故に各国の武将も、1560年の時点での年齢が忠実に反映されている。毛利元就は63歳だが、同じ頃の別所長治はわずか6歳。「独眼竜」で知られる伊達政宗の父・伊達輝宗は17歳の青年だ。ゆえに、政宗はこのゲームには登場しない。
プレイヤーは、自身の選んだ大名が生きているうちに日本全国を統一しなければならない。従って、ゲーム開始時点で既に老年に達している毛利元就や南部晴政は上級者向けの大名と言える。
ただし、それを逆手に取って「元就が存命のうちに全国統一」や「弱小大名で織田信長を討ち取る」というプレイが流行したのも事実。上述の南部晴政は高齢の上に国も豊かではないのだが、だからこそこの大名で全国統一を達成した時の快感は格別だ!
■「本能寺の変」で豊臣秀吉が登場!
『信長の野望・全国版』には隠しイベント「本能寺の変」が実装されていた。
ある条件を満たすと、織田信長が史実通りに討ち取られて織田が羽柴(豊臣)・柴田・明智に三分裂するのだ。「大名の後継者」の概念がないこのゲームの中では、例外的な現象である。この隠しイベントはユーザーの間で好意的に受け止められ、その後のシリーズでは「一定条件化の史実イベント」を組み込むのが定番になった。
『信長の野望・全国版』は、シリーズの骨格を作った名作として今も人々の間で記憶されている。