■カードゲームの主役はやっぱり「カード」
デジタルカードゲームでは、新カードが追加された瞬間が最もテンションが上がります。とくにドラクエを題材にしている『ライバルズ』においては、「次はどんなモンスターが出るのか」「追加キャラクターはいるのか」という原作ファンならではの楽しみ方もできるので、ユーザーのワクワク感は倍増されていたと思います。
しかしこの新カード追加の難しいところが、カードの強さのバランスをいかに調整するかという点。ここで『ライバルズ』はかなり苦戦していたように思うんですす。
なぜ苦戦していたのか、ということは想像でしかありませんが、おそらく偉大なる原作キャラクターの中でしか、カードを作れなかったためではないでしょうか。新しいまったく関係ない作品やシリーズから、カードを作ることができればさまざまなアイディアからデザインできたかもしれませんが、原作に関連するものでなければいけないという縛りがあると、なかなか目先を変えられません。
さまざまな新ルールや同じモンスターの別バージョンなど、いろんな形でプレイヤーを飽きさせないようなチャレンジ精神はひしひしと感じていましたが、そうしたチャレンジも戦略の幅が広がるというより、今までの戦略が死に、新たな戦略を覚えなきゃいけない、というようなイメージに近いものがありました。
一方『遊戯王』は、あの不気味で独特な世界観・デザインのモンスターや魔法、罠カードは種類が豊富で、最初期からさまざまな戦略が生まれました。もちろんルールが違うので単純に比べることはできませんが、『マスターデュエル』で久しぶりに遊戯王を楽しんで感じたのは、カードデザインの多様性と圧倒的なデッキの幅広さです。
あのころ大好きだった「ブルーアイズ」「ブラックマジシャン」といったカードが、何万種類ものカードが追加された今でもエースとして活用できるようになっていることからも分かるように、遊戯王のバランス調整はすさまじいものがあります。
新しいものを古いものと融合させながら、ゲームバランスをある一定の水準に保ち続けることが難しいうえに、ドラクエの場合はさらにそのバランスを「原作関連のキャラクター・アイテムのなか」だけで考えなくてはいけない。それがどれだけチャレンジングなことだったのか。
やはりライバルズ限定のキャラクターというか、鳥山先生のデザインにこだわらず、いろんなカードを見てみたかったなと感じます。
また、デジタルカードゲームならではの要素ですが、今振り返ると『ライバルズ』はプレイヤーに「爽快感」を与えることに苦心していたように思います。
『マスターデュエル』はゲームBGMが秀逸で、遊戯王らしいシリアスさと白熱している感じがミックスされ、プレイ中のワクワクが絶えません。とどめを刺すときは「ドーン!」という音のあとに、相手のカードが「パリンパリン」と割れていき、最後にファンファーレとともに勝利を祝ってもらえる演出があります。このときの爽快感はカードゲームの中では随一だと思います。
『ライバルズ』は演出が原作であるドラクエ準拠で、テリーが実際にゼシカに切りかかっていく様は慣れるまで少し時間がかかりましたが、面白い演出だったと思います。
ただ、これは個人的感覚になりますが、ライバルズは勝ったときに「やった!勝った!」というよりは、「負けなかった」というようなイメージがありました。「よっしゃ!」というよりは「ふぅ……」という感覚でしょうか。負けたときは悔しいというよりも、イライラが上回ることが多く、その点で長時間のプレイへのハードルが高くなっていました。
これに関しては原因を言語化するのがとても難しいのですが、やはりBGMや演出の爽快感が1つの要因なのかなと思います。「面白い」を言葉にするのって本当に難しいですね。