■かまぼこ隊の見た夢は?

 まずは善逸の夢。彼の夢は禰豆子とデートをしながら「川を泳げない」という禰豆子をおぶって川を渡るというものだった。

 なんともほほ笑ましい善逸にとってのまさに“幸せ”な夢だが、無意識の領域はどこまでも真っ暗な闇に包まれており、彼のふだんの姿からはかなりギャップがある。また善逸の無意識の領域に入った少年は「息苦しい 体が重たい 身体中に墨汁を塗りたくられてるみたい」と漏らしており、居心地もかなり悪そうだ。

 意識を失うと人格が入れ替わったように強くなったり、親から捨てられ女性に騙されてきたという重い過去を持っていながらもふだんは悲壮さを感じさせない善逸。このシーンにも、彼のそんな二面性があらわれていた。

 打って変わって伊之助の夢は、探検隊の親分としてタヌキのポン治郎、ネズミのチュウ逸、ウサギの禰豆子とともに洞窟を進むという牧歌的なもの。物語開始序盤で列車を「土地の主」と勘違いしていた伊之助らしく、夢の中で登場した「主」は、無限列車に手足が生えたムカデの姿をしていた。

 また、道中言うことを聞かない子分の禰豆子に伊之助があげたのは「ツヤツヤのドングリ」。伊之助にとってツヤツヤのドングリはとっておきのものらしく、コミックス22巻では禰豆子の回想の中で伊之助がドングリをあげるコマや、最終話ではアオイに木の実やドングリのブレスレットを差し出す様子が描かれている。ドングリは、まだ感情を正確に言葉にすることができない彼なりの慈しみの表現なのだろう。

 そして炭治郎の見た夢は今は亡き家族との幸せな時間だった。劇場版では原作にないシーンもいくつか挟み込まれている。ひとつは、母が古いお餅をつぶしておせんべいを焼こうとしてくれるシーンだ。

 第1話で炭治郎は「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたい」と言って雪深い中、炭を売りに出かけている。つまり家族が鬼に襲われるのは年越し前だ。そして一家が餅を食べるのが正月の出来事だとしたら、炭治郎が見ている夢は実際の過去ではなく、鬼がやってこなかった世界線なのではと推察される。

 このほかにも映画にしかないシーンとして、夢だと気づいた炭治郎が家族と決別する場面で、末弟の六太が炭治郎を追いかけて走り、雪の中で転んで泣いてしまうという演出が追加された。弟の泣き声を聞いてもなお振り向くことができない炭治郎の葛藤と悲しさがより伝わってくるシーンに、涙した人も多かったのではないだろうか。

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