■“ゲーム業界の顔”の自覚と覚悟

高橋名人(撮影・弦巻勝)

 そもそも、実は僕は、けっしてゲームが得意じゃない(笑)。ただ、デモンストレーションのときに見せるゲームの一場面を、見ている人が盛り上がるように、ひたすら練習して臨んでいただけなんです。

 その後、高橋名人は熱狂的な支持をいただき、やがてゲーム会社の社員という枠を越えて、テレビに出て、映画に出て、歌手デビューして……という多忙な日々が始まります。でも、僕はもう“操り人形”状態で、周囲が決めてきたことを言われるままにやるだけでした。

 当時は“ゲーム業界の顔”のような立場になっていましたが、その自覚と覚悟は、かなり持っていましたね。なにしろ対象が子どもですから、絶対に悪いことをしてはいけない。子どもの背後にいる親に、嫌われるようなことをしてもいけない。だから繁華街を歩くときには必ず3人組。写真誌に“ピンクの看板”とのツーショットを撮られないよう、3人の真ん中を歩いていました(笑)。

 かなり忙しい生活でしたが、給料以外の収入はなかったですね。フリーになったらもっと稼げたでしょうが、そこに魅力は感じなかった。ハドソンを辞めたら、他社のゲームもやらなくてはいけなくなって、自分の時間がますます減ってしまう。それなら社員のほうがいいなと。

 そんなハドソンも2011年に退社して、今は「ゲームプレゼンター」として、ゲーム業界を盛り上げる仕事をしています。これからやりたいことは……夫婦でバイクに乗って、日本一周をしたいですね。それが今後の大きな夢です。

■高橋名人(たかはし・めいじん)
1959年生まれ。北海道出身。1985年、ゲーム会社『ハドソン』の社員として、ソフトPRイベントに「名人」として登場。得意技の“16連射”が『コロコロコミック』(小学館)で紹介されると一躍、子どもたちのヒーローに。その後、多数のテレビ番組に出演する他、レコードデビュー、映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』に主演するなど、時代を代表する存在となる。ハドソン退社後は、ゲーム業界の発展に尽力しながら、タレントとしても活躍。

  1. 1
  2. 2
全ての写真を見る