僕はもともと、ハドソンというゲーム会社で、ソフトの宣伝を担当していました。初めてお客さんの前でゲームをプレイしたのは、児童向け漫画雑誌『コロコロコミック』のイベント会場。当時はファミコン大ブームの真っただ中で、「会場のステージで1時間、ファミコンで何かやってみないか」と会社がオファーを受けたんです。それを上司が僕に丸投げ(笑)。「1時間も何したらいいんだ……」と迷いながら、発売前の新作ソフトのデモプレイをすることにしました。
子どもたちの前でプレイしてみると、面をクリアするたびに歓声が起こる。たとえミスしても、応援してくれるんですね。
まだゲームのイベント自体が珍しい時代でしたが、もう大変な盛り上がりで、イベント終了後には、数百人もの子どもたちが残って、「サインが欲しい」って言うんです。その頃の僕はただの会社員ですから、サインなんてあるわけがない(笑)。しょうがないから名前だけ書きましたが、それでも喜んでくれました。
これをきっかけに「こんなイベントを全国でやったら面白いんじゃないか」と、その後『スターフォース』という新作ゲームをひっさげて、全国キャラバンがスタートします。その話の中で、イベントにゲームを指導する人物が必要だということになり、僕がその役割を担うことになった。そして「高橋名人」という愛称もそのときに決まりました。
今ではゲームプレイで人を楽しませる人はたくさんいますが、当時は“先人”がいません。どうやったら喜んでくれるのかということを、とにかく考えました。
たとえば、シューティングゲームで、いいスコアを獲るためにガンガン弾を撃っていると、画面に敵がいなくなっちゃう。そんな画面を見ても、お客さんは面白くもなんともないわけですよ。スコアが低くてもいいから、画面を敵でいっぱいにして、そこを切り抜ける……というプレイを心がけていました。いわゆる“魅せるプレイ”というヤツですね。腕前を見せるプレイと、ゲームの宣伝につながるプレイは違うんです。