声優・堀江瞬インタビュー「最初のアフレコでは養成所で学んだことを何も活かせなかった」の画像
声優・堀江瞬(写真/金子亜矢子)
全ての写真を見る

 “ホリエル”の愛称でも知られる声優・堀江瞬。声優雑誌『声優MEN』(双葉社)の人気コーナー「ホリエル、シネマる。」の連載も大好評で、12月11日には同企画をまとめた『SHUN HORIE ホリエル、シネマる。1st PHOTO BOOK』が発売。デビューからわずか5年で幅広いキャラクターを演じ、声優アーティストとしてもデビューを果たすなど、活躍の勢いが止まらない。

 2015年に声優デビューし、翌年にはメインキャストを経験。2017年にはTVアニメで初主演を果たしたほか、音楽ユニットのメンバーとして活動を開始。堀江瞬の経歴をみるとどれも輝かしく、順風満帆という言葉が似合う。ただ、本人に話を聞いてみると、驚くほど慎重で、謙虚で、抱えきれないほどの不安も秘めていることがわかった。今回はそんな堀江瞬にロングインタビューを行い、27年間の人生と、声の仕事に対する熱意を語ってもらった。

文/松本まゆげ
ヘア&メイク/杉野智行
スタイリング/鍛冶古翔三(Yolken)

■親に言わずに声優の道に進んだ

――今回はロングインタビューということで、堀江さんのデビュー前のことからお伺いしていきたいと思います。大阪府生まれの堀江さんですが、幼少期はどんな子どもでしたか。

「実家で片付けをするとき、つい昔の写真を眺めてしまってはかどらないことがよくあるんですけど、そのたびに思うのは、4歳くらいまでの自分の顔が天使みたいだということです(笑)。くりくりした顔をしていて、あのまま成長していれば将来ちゃんとモテただろうなと。しかも、バスに乗っているとき、知らないおばあちゃんに話しかけたり、PUFFYさんの『渚にまつわるエトセトラ』や『アンパンマンたいそう』を急に歌いだして感想を求めたりすることもあったみたいです。母が『あの頃はかわいかった』と言いながら教えてくれましたが、全然記憶にないですね」

ーー堀江さん自身のいちばん古い記憶は何ですか。

「幼稚園の入園初日かな。母親の手を離れてひとりで幼稚園の門をくぐらなきゃいけなかったんですけど、ものすごく恐怖を感じて泣きじゃくった記憶があります。それも4歳くらいかな。同時期に弟が生まれて、家の床に弟のうんちが転がっていたのも覚えてる(笑)。強烈な記憶が断片的に残っている、という感じです」

ーー入園初日は泣いてしまったようですが、知らない人に歌を披露するほどチャーミングでもあったんですね。

「母親の話によれば、基本的には明るい子だったみたいです。小学校に入学してからも、明るくて友だちの多い子どもでした。友だちが遊んでいれば『仲間に入れて』と言えたし。ただ、転校したことで変わりましたね。1度目の転校は小学5年生のとき。その学校には1年間しかいなかったのですが、突然新しい環境に置かれたことで、クラスメイトとの距離の取り方や友だちの作り方が掴みきれないまま1年が過ぎていったんです。“自分のことを誰も知らない環境って怖いな”と恐怖を痛感し、人と話すことがどんどん苦手になっていきました。家でもいろいろあった時期なので、余計に内にこもる性格になっていったのかなと、いまでは思います」

――1度目の転校は、大阪府内で?

「そうです。2度目の転校のタイミングで、大阪から愛媛に引っ越しました。小学6年生の春からは愛媛です」

――4年生まで通った学校の友だちとは、今でも連絡を取っているのですか?

「いえいえ!まったくです。一人も会っていません」

――仲良しだったけれども。

「そうですね。でも、まだエゴサをしていた頃にツイッターでとある作品の感想を見ていたら、当時のクラスメイトのアカウントを見つけたことがあります。友だちらしき人と“小学生の頃に同じクラスだった堀江瞬という存在”のことを話していましたね。僕が出演していたアニメも観てくれていました(笑)」

――では、堀江さんにとって故郷というとどちらに?

「どっちなんでしょう? 小学5年生までは大阪、小学6年生から高校3年生までは愛媛で過ごしましたけど、友だちはあまりできなかったんです。ひとりでご飯を食べるヤツだと思われたくなくて、ご飯だけは一緒に食べるクラスメイトがひとりいました。大阪も愛媛も、淡い幸せな思い出があるかと言われるとないんですよね」

――難しいところですね。

「それに、地元では僕が声優をやっていると知れ渡っているんです。たまに帰省して地元のスーパーに行くと、知らないおばあちゃんに『頑張っているらしいわね!』と話しかけられてしまうくらいです。僕の活動がどうこうではなくて、田舎はなにかとすぐに知られてしまうんですよね。今年のお正月も、高校のクラスメイトと出くわしそうになったのでとっさに隠れました」

――(笑)。もしかしたら、東京よりも息苦しい?

「かもしれないですね(笑)。故郷に錦を飾ったぜ!みたいな感覚もあまりないですね。ただの比較でしかないですけど、当時に比べたらいまいる東京のほうが鮮やかに見えます。いま振り返ってみても、正しい学生生活を送っていないなと思います」

――高校卒業後は、大学に進学するために上京したんですよね。

「そうです。正しくは、大学進学という体で上京しました。高校生の頃、親に『声優になりたい』と打ち明けたら反対され、担任の先生にも『なれるわけがないからやめておけ』と言われたんです。なので、そこではひとまずわかったフリをして、大学でまっとうに勉強して、就職するフリをして地元を離れて。実際に大学に通いながら声優の養成所に通うためのお金を貯めていました。学費も生活費も養成所の費用も全部バイトで稼いで、大学2年生の秋からいまの事務所の養成所に通いはじめました。親には言わずに」

――学費と生活費だけでも大変そうなのに、養成所の費用までとは。

「たしかにすごく大変でしたけど、大学の学費は奨学金を借りたのでなんとか。それに、上京といっても最初に住んだのは埼玉で、都内ほど家賃がかからなかったんです。ユニットバス付きで2万3千円くらいのアパートに住んでいました」

  1. 1
  2. 2
  3. 3